第2314回例会/平成19年4月27日(金)

●例会場 宮崎観光ホテル

会   長井手脇 万 詔
副 会 長 衛 藤 清 隆
幹   事 西 岡 昌 志
会報委員長 黒 木   寛


国歌斉唱    :
ロータリーソング: 奉仕の理想
ゲスト     : 無し
卓話者     : 佐原 正晃会員
ビジター    : 無し

出席状況
会員  : 71名
本日出席: 49名      本日欠席: 22名 
出席率 : 69.01%    前々回修正(4月13日分)83.10% 

本日の例会プログラム
5月11日

古紙回収 結婚・誕生祝
委員会アワー

四つのテスト
1 真実か どうか
2 みんなに公平か
3 好意と友情を深めるか
4 みんなのためになるか どうか


例会変更・行事予定告知板
例会変更 
行事予定告知板
・5月18日(金)会員卓話  山口 平二会員
・5月20日(日)地区協議会 於 九州保健福祉大学(延岡市)
・5月25日 (有)ライフサポートチーム 代表取締役 黒木陽子さん(宮崎中央RC会員)
     「職場におけるメンタルヘルス」


会長挨拶(井手脇 万詔会長)
 ロータリー年度も残すところ後2ヶ月となり、新しい山口体制もできたようで、年度も終わりに確実に近づいているという実感を肌で感じております。気を引き締めて残り期間取り組んでまいりたいと存じます。
 ニューフレンドを紹介いたします。時事通信社の小林秀明会員と日興コーディアル証券の松尾敏三会員です。新しい風を起こし、頑張って頂きたいと想います。
 本日はプログラムとして、会員卓話を予定しております。佐原正晃会員よろしくお願いいたします。佐原会員は「人生・経営金言集〜 佐原流〜」等を発行されており、色々と教訓を教えて頂きました。よろしくお願いいたします。
 ロータリーの魅力や、ロータリーは何処にという事を聞くことがございます。ロータリー・クラブが地域社会に奉仕し、かつ国際奉仕と平和の目的を推進する為に色々なプログラムを実行いたしますが、ロータリーのプログラムは、必ずしもクラブの為のものではありません。ロータリアンがクラブの活動の他に行う、奉仕と親睦もあるわけであります。個人で参加するボランティア活動も、その一つではないでしょうか。
ボランティアを経験すると止められなくなるのは、意義ある奉仕から充実感が得られる為であることは間違いありません。あるボランティア・ロータリアンは「ボランティア活動は、やりがいがあり、心が躍り、報われ、止められなくなります。」と言っています。まさにロータリーは奉仕する団体ではなく、奉仕を志し、これを実践しようとする人々、即ちロータリアンの集まりであると言えるわけです。
 ロータリーの歴史や活動を見てみると、まさに、20世紀の申し子です。生まれた年は20世紀が始まってから5年後で、時代の変遷とともにその影響を受けながら発展してきました。ロータリアンは、職場で、地域社会でそして世界で、奉仕活動を活発に行って発展しました。
 私たちが、今日、世界で直面する多くの問題、貧困や飢餓、水の問題、環境問題は、将来も残るでしょう。問題のいくつかは、確かに解決されるでしょうが、新たな問題も、確実に発生するでしょう。幸いにどの世紀においても、人類の状態を向上させたい、人助けのために自分の時間と専門技能を捧げたいと望む人が沢山います。多分此から何世紀にもわたり、これらの男女は永遠にロータリアンと呼ばれることでしょう。ロータリーの主体はクラブではなく、ロータリアン一人ひとりの個人の意識と参加にあるわけですので、そういう考え方に立てば、21世紀のロータリーは素晴らしいものになっていくのではないでしょうか。

幹事報告(西岡 昌志幹事)
・ガバナー事務所、市内事務局は4月28日から5月6日まで休みになります。
・来週5月4日は祝日(みどりの日)のため休会です。古紙回収は5月11日に行います。

出席委員会(児玉 寛太郎副委員長)
 本日の出席状況(前記のとおり)

韓国地区大会参加報告(菊地 平PG)
 「アンニョン ハシムニカ チョウム……チョヌン キクチイムニダ……」この様に挨拶しましたら、大拍手がおきました。実に3分30秒くらい挨拶を行ないました。
 登録者4,500人で3,000人の会場のKBCホールを埋め尽くすほどの中で、カリフォルニアの姉妹地区から、英語でのスピーチがありました。私が一生懸命練習をした、韓国語のスピーチの意味が通じたのでしょうか。中で拍手があって、終わりにまた湧き上がるような拍手がありました。一番最後に、「実は私は一生懸命練習してきたのですよ」という落ちがあり大爆笑になりいい経験をしました。
 3660地区は、ウルサンという所でありまして、釜山と慶州の間にある人口110万の都市で現代自動車の本社工場が在るところです。そこが、3,000人の大会でした。
 3720地区は、釜山でロッテホテルにおきまして600人の大会がありました。クラブ数は120、会員数は5,000人位、会場の関係で各クラブから選任された方々が、600人位の限定で毎回この会場で開催されるそうです。
 3660地区はウルサン、チャンオン、釜山を挟んでの周辺の地域ですから、持回りで地区大会があるようでした。
 今回は、田村ガバナーエレクト・次期地区幹事・冨永ガバナー事務所からは荒木幹事他2名、都合7名で参加してまいりました。私実は、ノミニー、エレククトのころから数えますと3回訪問しておりまして、向こうにも大変日本語の上手な方が沢山いるわけで、楽しく訪問することができました。先週の18日から22日の間でした。
 折角の機会ですので、別のお話をさせて頂きますと、今週はシカゴにおきましてずっと規程審議会が開催されております。海江田順三郎PGが代議員として出席されております。
 情報を見ておりましたら、四大奉仕はRI理事会の提唱で起案されたものが採決され決定しております。次の手続要覧には、クラブ定款の中にクラブ奉仕、国際奉仕、職業奉仕、社会奉仕が載ってくると思います。
 ただ気になるのは、私達は例会を週1回行なっています。2週間に1回という提案が、採決も採択もされずにRI理事会預かりという事になりました。どうも、高等な策を労したのか解りませんが、ひょっとすると2週間に1回の例会になる、含みをもたした議案というのが気になります。これから、もっともっと情報が伝わってくると思います。
 次年度スケジュール、組織表を見てみましたら、CLP検討委員会というのが立ち上がっているようです。CLPは全国的にスタートした所も沢山ありますが、私のクラブとしてはどうすべきか、今度の地区協議会でお話させて頂きますけど、検討委員会が出来たことそのものは前進だと思います。
 冨永ガバナーの替わりに、アクティングガバナーとして出席させて頂きました韓国でありましたけれども、アクティングガバナーとしては最後の勤めでありました。皆様のご協力心から感謝申し上げまして、報告とさせていただきます。

会員卓話(佐原 正晃会員)
 久々の登壇でございます。私が、会長に就任しまして最初の演説をした時の気持ちです。
私は昭和6年4月19日生まれで、満76才になりました。よくこの年まで曲がりなりにも健康でこられたもので、いや生かされてきた事に感謝しております。今後も来年の喜寿、そうして米寿、90才の卒寿(大塚さん)あたり迄は、西ロータリアンで在りたいと考えておりますので、宜しくお付き合いお願いします。
 さて、私と西RCとの結びつきと申しますのが、其れは西RCの創設時代に遡ります。その創設は1960年、昭和35年で初代会長が、現会員の田崎さんのお父さんの田崎亀夫先生で、私の父もその時はチャーターメンバーの1人でした。そのチャーターナイト(認証状伝達式)のセレモニーに、私の家内が手伝いに行った記憶があります。それから第3代目会長を私の父がやり、幹事が橋本一郎さんで、その打合せによく橘通りの私の店に来られておりました。関係上、橋本さんの第11代会長の折に、会長の紹介で断れずに昭和44年に入会いたしました。そして皆さんより鍛えられまして、昭和64年に第29代会長を務めさせて頂きました。
 私の職業分類は「レンタル業」となっております。この分類は私が入会時に新しく加えられた分類です。それほど当時として新しい職業であった訳で、いわゆるダスキンとは何か、レンタルとは何かという、日本におけるレンタル業を導入した最初の企業だったと思います。本業の陶器部門より、昭和43年に新しくダスキン佐原として事業開拓をやるようになり今日に至っております。私の事業を紹介しますと、ダスキン事業をメインにターミニックス部門、即ち防虫・害虫駆除を主にホテル、病院、旅館、各種飲食業等の厨房室の駆除で、北は延岡、南は串間の範囲で契約先の衛生管理等をやっております。
 もう1つの部門は「ホームインステッド」と申しますが、これは介護保険が使えない高齢者宅の家事、その他困っておられるお手伝いを全般的にサポートする部門です。これは、1年前よりスタートしております。以上が私の職業の内容で、シェラトン関係、病院では竹内先生を始め、前園会員や皆さんの御引立てを願っております事を、高席からですがこの席から御礼申し上げます。
 次に私の家の歴史を申しますが、先祖が残したものを紹介いたします。私の店の片隅に二宮尊徳師こと幼名二宮金次郎の陶像(信楽焼)1.2mとその隣に1.5mの高さの、苔むした道祖神があります。先ず、金次郎の陶像が何故そこにあるかと申しますと、昭和1ケタ以前の方は記憶にあると思います。全国の主だった小学校の校庭に、台座を含めて3m位の高さで、薪を背負い本を読みながら歩く姿の金次郎少年の銅像がありました。倹約、勤勉、親孝行という当時の少年の修身教育の根幹を指すもので、その象徴が、二宮金次郎で「手本は二宮金次郎」という歌までありましたが、大東亜戦時体制下で、国の金属不足から全国のあらゆる銅像、お寺の鐘、各家庭の鍋、釜迄、お国の為に供出した経緯がありました。供出した金次郎銅像の代替として、陶器で作られた像になりました。私の家業が陶器類を広く扱っていた関係上、県下の供出した小学校へその代替像を配布いたしました。そして、その残りの1体が我が家に残されているという訳です。戦後、アメリカGHQの指示で、金次郎像がすべて小学校から消された訳ですので、全国でもこの銅像が残っているのは大変珍しく、残っておれば信楽の窯元位だと思いますが、歴史を刻む貴重な1体ではないかと思っております。
次に道祖神ですが、大体道祖神とは村、町の入口にあるもので、昔宮崎で最も繁盛した街が私の住む城ヶ崎でした。赤江城ヶ崎は「槞木(しゅもく)の町じゃ金がなければ通られん」と歌がありました。その町の入口が私の家だったようです。時代はめぐり昭和40年頃でしたが、道路整備計画で道路に面していたそれが邪魔になり、止む無く庭に移動させたものです。その地蔵さんに刻まれている文字は「天保12年丑年、南無地蔵尊」とあり横の面に施主、佐原氏となっております。私の先祖の創業が天保8年ですので、石の上にも3年とか申しますが如く、4年経過した頃に漸く「商」の見通しがついた頃ではなかったかと推察されます。天保8年は西暦1837年ですので、今年で丁度百七十年になります。朝夕あげていた祖父の姿を記憶しております。この道祖神は赤江村、城ヶ崎村の守り神でもあったと同時に、私の家の守り神でもあった訳で大事に子孫にも残してゆかねばと思っております。古い物がもう一つ残っております。それは「御札」です。家が古くなり雨漏りがひどくなりましたので、30数年前に現在の家に建替えました折に、天井裏から「御札」が6枚と、同じ御札でも縦1メートルの桐のケースで観音開きの中に納められている特大の御札が出てきました。その事につきましては、5年前に皆さんに差し上げました冊子にも書いてあります。御札の最も古い年号が安政6年(1859年)で今を遡ること百四十二年で、その時代背景としては尊皇攘夷論の激しい時代で、吉田松陰が処刑になった年です。次が万延6年で、勝海舟が咸臨丸でアメリカへ向け出航した年、次が文久元年慶応、明治となっております。先に申しました特大の御札には明治十年「奉二夜三日祈祷、家内安全、金比羅宮」とおりまして六札の御札もやはり四国のお寺のようです。「道祖神」を祀り、御札に願をかけひたすら「商」の道と家内安全を祈ってきた先祖の土地を預かっている今日、このような我が家の宝物を大事に保存、そして子孫に継承してゆかねばと思う此の頃です。

※ 槞木(しゅもく)
  −鐘・半鐘などを打ち鳴らすT字型の棒。
   かねたたき。

 本日の司会  岩切 承自プログラム委員長
                     (担当:黒木 寛)