第2291回例会/平成18年10月27日(金)

●例会場 サンホテルフェニックス
●例会日 10月27日

第2291回例会

会   長 井手脇 万 詔
副 会 長 衛 藤 清 隆
幹   事 西 岡 昌 志
会報委員長 黒 木   寛


出席状況
会員  : 73名
本日出席: 54名      本日欠席: 20名 
出席率 : 73.97%    前々回修正(10月13日分)81.94% 

ロータリーソング:日も風も星も スト     :なし
卓話者     :前田暢俊会員 「歴史に見る宮崎の風景」
ビジター    :なし



本日の例会プログラム
11月10日
GSE訪問(5名)・古紙回収


11月は「ロータリー財団月間」


四つのテスト
1 真実か どうか
2 みんなに公平か
3 好意と友情を深めるか
4 みんなのためになるか どうか


例会変更・行事予定告知板
例会変更 
行事予定告知板
・11月11日  新世代フォーラム 於  宮崎市民プラザ「オルブライトホール」 13:00〜
・11月17日  会員卓話 外山三博会員 クラブ協議会 18:30〜 於  ホテル浜荘
・11月21日  歴代会長会 18:30〜 於  ホテルメリージュ
・11月24日  会員卓話 塩月光夫会員 「都市ガスの歴史」  




会長挨拶(井手脇 万詔会長)
 昨日は、日本ハムファイターズが44年ぶりの日本一に輝きました。夏は駒大苫小牧高校と、今年は北海道北の大地が大いにもりあがりましたが、宮崎も130年近くの伝統を誇る宮崎神宮秋の大祭・神武さまが明日から盛大に実施されます。山口実行委員長はじめ、多くの会員の方が参加されるようで大いに盛り上がるものと期待しております。
 本日は前田会員に卓話をお願いしております。楽しみに聞かせていただきたいと存じます。ニューフレンドの土屋広明会員を紹介いたします。一日も早くクラブに溶け込んでいただきたいと思います。
 先日の「心の絆」を地区大会テーマとした鹿児島での地区大会、参加の会員の皆さん遠いところ大変お疲れさまでした。
 詳しい報告は後日あるかと存じますが、如何しても昨年の宮崎での大会と比較しながら見てしまいました。内容、規模の点で素晴しいところも多々ありましたが、やはり宮崎大会は素晴しいかったなぁという思いが実感でした。会員同士親睦を深めるいい機会になったと感謝いたしております。ありがとうございました。
 ダブルといけませんので、あまり触れないように言われておりますのでその中で一つだけ、川妻RI会長代理の話しでロータリーを理解するためにはまず、自分で学習すること 先輩会員に積極的に聞くこと そして多くの会合に出席することが大事であるとアドレスされた会長代理の言葉、分かっていることですが実に新鮮で印象的でした。あとは後日の報告にお任せいたします。
 ロータリーは修業の場であるし、努力する事が大事であるわけで、他の人に何にかをしたときに、喜びを感じることができることが奉仕ではないでしょうか。
 公平にルールが守れて、地域社会に貢献できて、地域や家族を愛し、友達を大事にし、想いを素直に相手に伝えることのできる、そんなやさしい「美しい国 日本に生きる日本人」でありたいと強く感じながら帰ってまいりました。

幹事報告(西岡 昌志幹事)
1.地区大会で2005〜2006度会長賞、ロータリー財団寄付優秀クラブ第3位として表彰を受けましたので、ご披露いたします。
2.国際ロータリーの為替レートが11月より1ドル118円になります。
3.来週は祝日のため休会です。
4.11月の第一例会(11月10日)は会場がサミットになります。古紙回収も当日行います。

出席委員会(押川 幸男委員長)
 本日の出席状況(前記のとおり)
ハッピーボックス(岡崎 優SAA)
1.山本勝美、高橋雅弘会員(日本ハム優勝;北海道出身)
2.マイケル・インディゴ、高橋雅弘会員(ブライダル業サポートソフトを開発して全国展開)
3. 菊地 平、大江幸政、植松孝一、山口賢一郎、西田英敏、西岡昌志、前畑智之会員(RC地区大会において、本大会・懇親会で大活躍)
4.小林貞雄、浜砂猛敏会員(神武大祭にて神武天皇に扮する)
5.大薗英治、植松孝一会員(神武大祭にて神武天皇のお付武官に扮する)


会員卓話(前田 暢俊会員)
 演題 「歴史に見る宮崎の風景」
 明治から大正、昭和の初期に至る宮崎市の街がどのように変化していったのか。その風俗や街の風景について。
 江戸末期の宮崎市街地は天領と思われがちだが、徳川幕府直轄の領土は少なく殆どが延岡藩で、僅かに飫肥藩が入り込んでいた。
 明治になっても宮崎市は街らしい街もなく、上野町、江平と大淀川南の中村町ぐらいで戸数も10個程度の農村集落であった。
 街が形成される条件は城下町や門前町、寺町などから発達したもので何も存在していないところから街が生まれたのは、札幌市と宮崎市しかありません。だから宮崎市は歴史的な価値を持つ街並みや街の風情というものがなかった。
 当時の橘通1丁目は寺町と呼ばれ、2〜3丁目は牛円といわれています。この当時の上野町の道路は、2mに満たない狭いもので、大道といってもせいぜい4mから6mぐらいのものでした。
 宮崎県庁は、最初は木造の西洋風建築でしたが、現県庁の少し東側になるのでしょうか。明治10年ごろの建築ですが、このころのはまだ周りは鬱蒼とした森林で、主として松や杉の天然林でした。土地は、じめじめした湿地で沼や小川が無数に流れていたといいます。ですから、宮崎市も全体が森林に囲まれ僅かな畑や原野があったのでしょう。
 明治20年頃にはガス灯や人力車が走る街らしい姿になりますが、この頃でも飛脚が走っていたというから面白いものです。
 大正時代では、少しずつですが街が形成されてきます。しかし、環境破壊が始まり、昭和に入ってまもなく江平の東池や西池をはじめ、市内にある池がすべて埋め尽くされました。
丁度その頃、松山町に日本三大花街といわれる「松山花街」が出現します。その後、九州では初めてというカフェーが進出しています。宮崎市が元気の絶頂にあったのだと思います。
本日の司会 山本 勝美プログラム委員
(週報担当 塩月 光夫)