第2271回例会/平成18年06月2日(金)
会長挨拶(林  務会長)
 それではまず、今日新しい仲間をお迎えしておりますので、ご紹介申し上げたいと思います。上杉憲一さんでございます。(拍手)後ほど執り行います入会式に於きまして詳しくご紹介があろうかと思います。
 さてROTARY年度もいよいよ最終月となりました。最初の例会日は昨年の7月1日でございました。そして最終例会は今月の30日になっておりますので、まるまる1年間、ロータリー漬けの日々でおわる事になりそうであります。
 そこで、そろそろ本年の総括に入らなければならない訳でありますが、本年、特筆すべきニュースは何といっても10年振りのガバナー輩出でありました。先週の例会でもお話ししましたように、我がクラブにとりましては3人目のガバナー誕生でありました。10年前、竹内ガバナーはそれまでの旧態然とした地区の組織を勇気をもって改革され、例えば地区委員会の委員長をPGからはずした運営法は今も続いております。そして本年度の菊地Gは、公式訪問は当然ながら地区のあらゆる会合に精力的に出席され、ロータリーの本質を説いて回られました。まさに我がクラブの誇りとなった一年ではなかったでしょうか?
 そして、志多実行委員長を中心とした地区大会も素晴らしい評価を戴いて終わることが出来ました。あるクラブの会員に「宮崎西クラブが羨ましい。人材がそろっている」と言っていただいた時は、本当に嬉しく思いました。
 まだまだ総括しなければなりませんが、例会がまだ4回あります。残りは来週以降にまわさせていただきます。


幹事報告(日高 久夫幹事)
 本日は3点ほどあります。
@ひとつは前回のサミット賞の御礼と言うことで「地雷ゼロ宮崎」よりお礼状が届いております。後でお回し致します。
A例会の会場が本日と来週の9日が、このサンホテルフェニックスになりますけれど、来週は会場が広い会場になろうかと思います。
B本日、現・次期クラブの協議会を開催しておりますので本年度の委員長さん方は6時30分にホテルメリージュのほうに、次年度の方の場合は後で次年度西岡幹事さんからご報告があります。以上です。


出席委員会(田畑 利春委員長)
 本日の出席状況(前記の通り)


親睦委員会(金丸 宣裕委員)
<6月の結婚記念日のお祝い>
まず、はじめに6月のご結婚、そして6月の誕生の会員の方々をご紹介致します。まず、ご結婚からでございます。植松孝一会員、6月で30年をお迎えになられました。それから、喜島健一郎会員、古賀保会員、日高久夫会員、森重勝雄会員、高橋雅弘会員、6月のご結婚おめでとうございます。ご自宅にお花が届きます。おめでとうございます。
<6月の誕生記念日のお祝い>
それでは誕生の方は前に出てきて頂きたいと思います。誕生の方は6名いらっしゃいます。阿南育男会員、岩切承自会員、宇都仁恵会員、大塚一止会員、金丸憲史会員、矢野温三会員、以上6名の方は前の方にお願いいたします。(それぞれに林会長より記念品贈呈される。拍手、ハッピーバースディの合唱。)

<ハッピーボックスの紹介>
 引き続きましてハッピーのご紹介を2つ程させていただきます。
@5月28日といえば、先週の日曜日ですがハイビスカスゴルフ場で宮崎西ロータリークラブのゴルフ大会がありまして、栄えある優勝、二位、三位を発表したいと思います。第三位、衛藤清隆会員でございます。(拍手)第二位、前田暢俊会員でございます。(拍手)栄えある優勝は森重勝雄会員でございます。(拍手)ハッピーを頂戴したいと思います。
Aその前の日、5月の27日でございます。土曜日。吉田信一郎会員をご紹介いたします。吉田信一郎会員のとても愛する長女、純子さん、27歳がですね、柏木崇さんという31歳の男性とご結婚しました。本当におめでとうございます。東京にあります株式会社「山万」、不動産開発会社なんですけども、社内結婚されまして千葉に居を構えるそうでございます。現在進行形でイタリアに新婚旅行中ということで、大変おめでたいのでハッピーを頂きました。本当におめでとうございます。

国際奉仕委員会(岩切 承自委員長)
 こんにちは、先日のサミット賞はどうもありがとうございました。今日はガバナー事務局から連絡が来ておりまして、書き損じ葉書、切手、テレカ送付の報告のお願いということです。6月30日までに書き損じ葉書、切手、テレフォンカードが、まだございま
したら是非次回、次々回の6月30日までに持ってきていただきたいと思います。特にテレフォンカードは今もう、ほとんど使用しないのではないかと思いますので、どこか机の中に眠っていると思いますので、是非多くの方がご協力頂きたいと思います。今度の例会の時にお持ちいただけると思います。宜しくお願いいたします。


次年度幹事報告(西岡 昌志会員)
 こんにちは、後1ヶ月ということで日高幹事はいつもよりか、声が明るかったような気がいたしますが、だんだんと声のトーンが落ちていく最近でございますけれども、先ほど日高幹事の方からご案内がありましたが、二回目になります次年度のクラブ協議会を本日5時半からホテルメリージュで開催をしたいと思います。出席ご予定の方は時間に遅れないようにお集まりいただきたいと思います。協議会の後に、現の委員長さんを交えまして引継等も行いたいと思いますので、宜しくお願いいたします。それから、今月の23日の例会終了後に次年度の理事会を開催したいと思いますので、理事の皆様宜しくお願い致します。それから一回目の協議会の時にガバナー公式訪問前のガバナー補佐を迎えての協議会が7月21日というご案内でしたが、補佐のご都合により7月14日に変更になりましたので7月14日例会終了後に協議会を行いたいと思いますので宜しくお願いいたします。


(新入会員入会式)     
 推薦者(金丸 憲史会員)
 皆さん、こんにちは。この6月から私どものクラブに入られた上杉憲一さんのご紹介をしたいと思います。お仕事は宮崎市小松にあります株式会社「学教」の代表取締役社長をされております。仕事以外では、職業倫理の活動に取り組まれていらっしゃいまして宮崎県倫理法人会の編集委員長ということでございます。私たちロータリーの方では職業奉仕という形ですけれども、仕事を通していろいろな活動をされておられます。ちなみに、菊地平ガバナーは、そちらの会の方のご相談役ということで伺っております。細かい事は、上杉さん、ご本人にご紹介いただくとして、ちなみに上杉さんのお父さん
はロータリアンだったそうです。西都ロータリーに昨年まで入っていらっしゃったそうです。今、西都商工会議所の会頭をされておられます。
 最後に一言。菊地ガバナーの下で地区幹事という役をさせていただいておりますけれども、その菊地ガバナーが「プラス ワン運動」と言うことで、私の役目として最後に会員増強のお手伝いができてほっとしております。うれしいなという風に感じております。これで、無事地区幹事の役目も止められるんだということで私も後、残すところ少しになりました。ただそういう中でも、ガバナー事務所としては残務が発生しますから、7月、たしか8月位までなろうかと。そういった時期に上杉さんをお迎えすることを、本当にうれしく思います。上杉憲一さんでございます。

<<上杉 憲一新入会員>>
 あらためまして こんにちは。今、ご紹介いただきました株式会社「学教」の上杉と申します。小松の方に事務所を構えていまして、今年、昭和38年生まれの42歳です。皆様方からすると、本当に若輩者ですし、まだ社長業というのも平成16年に父の方から受け継いで丁度丸2年、やっとたったと言うふうな所で、本当にひよっこですので、又これからいろいろ皆様方の方からもご指導して頂ければありがたいがなと。こういう風に思っております。会社の方は主に小学校、中学校の図書教材の販売、それから学校のパソコン教室の設置とかですね、大きな所では学校さんが相手の商売をさせていただいております。どうぞ、今月からですけれども、ひとつ宜しくお願いいたします。(拍手)

(菊地 平ガバナー)
 ガバナーとして我が西クラブ入会は、大変な光栄でございます。おめでとうございます。


新入会員卓話(高橋 雅弘会員)
 こんにちは。
 本日、このようなお時間をいただき、何の話をしようかと考えたんですけれども、先輩から、新入会員の卓話は、「自分の履歴書を話すつもりで」、というご助言もいただきましたので、先日の入会時に、簡単にご挨拶させていただきましたが、あらためて、自己紹介ということで、お話させていただきたいと思います。ただ、今まで、あまり長く人前で話しをしたことがありません。結婚式の祝辞などで三分程度話をしたのがもっとも長い方で、その三分間でも、話の終盤には、いやな汗をかきながら、声が上ずって
くるという有様ですので、今日は、最後まで話しができるかどうか、非常に不安なんですが、もし、倒れたときには、優しく介抱していただけたらと思いますので、よろしくお願いします。
 私は、1960年、昭和35年に札幌で生まれました。三つ違いの姉との二人兄弟です。父は、3年前に他界しましたが、母は元気に札幌で姉夫婦と一緒に生活しています。札幌を出て、結婚するまでの長い独身生活の二十数年間は、2〜3年に一度ぐらいの割合でしか札幌に帰っていませんでした。結婚してからは、一年に二回程度帰省するようになりましたが、もう少し、早く、今のようなペースで帰省していれば、父にも喜んでもらえただろうと、少し反省しています。札幌の人口は、現在は180万を超えているようですが、私が生まれたころの札幌の人口は、50万そこそこで、まだまだ大都会という感じではありませんでした。札幌は、新潟や長野と違って、もともとそれほど雪が多いところではありませんが、今に比べると、私が子供のころの札幌は、もう少し雪が多かったような気がします。温暖化の影響からか、近年は、雪が少なくなってきているのではないでしょうか。
 私は、札幌から少し小樽よりに行ったところにある、手稲山という、札幌オリンピックの時に、男女回転、女子大回転、リュージュ、ボブスレーといった競技の会場となった山のふもとで、生まれ育ちました。冬は、体育の授業は、スキーという環境で、また、冬の遊びといえば、裏山でのスキーということで、たぶん雪国以外のスキー愛好家の方々の滑走日数の一生分は、子供のころだけで、滑りきってしまったのではないかと思います。高校までの部活動では野球をやっていましたが、甲子園などは、まったく縁のないところだと感じていました。なぜそう感じていたのか、今考えてみると、もちろん、自分たちの高校が弱かったせいもあるんですけれども、甲子園に行くためには海を渡らなければならないというのが一番の障害だったかもしれません。当然、甲子園につながる大会の予選には出場しているんですけれども、その先に甲子園があるというイメージはまったく持っていませんでした。あのころは、北海道の代表校は、オリンピックと同じように甲子園に出ることに意義があるという感じで、全国の強豪校とは大きな力の差がありましたが、最近では、夏の甲子園で北海道の高校が優勝するなんていう驚くべきことがおこりまして、自分たちの時代とは、隔世の感があります。高校を卒業後、東京へ出たのですが、ここでも、友人に誘われて、草野球に参加することになりました。私が入ったのは、スナックの飲み仲間で作ったチームで、知り合いのチームと試合をして、野球そのものよりも、その後の打ち上げの飲み会がメインのような弱小チームだったのですが、私と、もう一人若い経験者が入ったことで、少しずつ勝てるようになってきて、だったら、勝って酒を飲んだほうが楽しいし、強いチームを作ろうということで、中野区の軟式野球連盟に登録して、区の大会に出るようになりました。中野区の軟式野球は、一部から四部までで構成されていまして、最初の登録時は三部に割り当てられ、三部で優勝・準優勝すると二部へ昇格、二部で優勝すると一部へ昇格というような形になっていました。初めに登録される三部は、一番チーム数が多くて、あのころは70チームくらいあったかと思います。このチームに、だんだんと、いい選手が集まるようになって、チームの実力もはじめのころとは見違えるような成長をとげてきていました。東北高校出身の甲子園経験者、帝京高校で4番を打っていたキャッチャーなど、そのほかにも経験者が入ってきていて、私自身の野球キャリアを考えると、とても想像できないような豪華なチームになっていきました。特に、帝京高校出身のキャッチャーは、高校時代に、後にヤクルトに入る伊東昭光投手とバッテリーを組んでいて、高校卒業後は、伊東投手と一緒に社会人野球入りして、伊東投手がドラフトでヤクルトに入ったときに、彼は社会人野球を引退して、私たちのチームに入ってきてくれました。当然のごとく、打撃のほうでは大活躍でしたが、キャッチャーとしての能力も、さすがに一味も二味も違っていました。このころ私は、ピッチャーとして、彼とバッテリーを組んでいたんですけれども、「高橋さん、いいよ!!」「高橋さんは、伊東よりもコントロールがいいなぁ」なんて、本当にうれしくなるようなことを言うわけです。こんなことを言われると、私は簡単に木に登ってしまう性格ですので、とにかく、コントロール、コントロールと呪文のように唱えながら、マウンドに立つようになっていきました。そうすると、スピードは無かったんですが、だんだん打たれることが少なくなり、少しずつ勝ち進めるようになってきました。ただ、それでも二部へあがるのは、簡単なことではなく、それから5年くらいかかったでしょうか、ついに三部で準優勝して二部に上がり、翌年、二部で優勝して一部に昇格することができました。それまでの野球経験の中で、優勝などということとは、まったく縁のなかった私は、二部の決勝で最後のバッターを打ち取った瞬間、マウンド上で大声を上げて万歳をし、駆け寄ってきたキャッチャーとしっかり抱き合って、まるで、甲子園の優勝の瞬間のように喜びを爆発させていました。私にとっては、生涯忘れられない思い出になっています。
 私の宮崎転勤で、このチームから離れてしまいましたが、今でも、メンバー構成は大きく変わっているようですが、中野で頑張っているようです。平成2年3月に東京から宮崎へ転勤してきたんですが、人の密度のせいなのか、宮崎の町に、なぜか昔の札幌の雰囲気を感じて、まったく違和感無く、宮崎での生活を始めることができました。来た当初は、車を持っていなかったので、一緒に転勤してきた、同僚の車に同乗して通勤していたんですが、さすがに、一週間で、宮崎では車が無いと生活できないことに気がついて、すぐに車を買いました。宮崎に来た当初の会社は、私ともう一人の転勤してきた同僚と副社長、それ以外は、三十数名の新人だけという状況で、4月、5月の二ヶ月間、新人教育に専念しました。
 この一期生たちには、本当に大きな力を発揮してもらい、今の会社の成長につながったと、感謝しております。
 私自身は、その後、12年ほど前に、病院の検体検査室で使われる、検査システムの開発と導入を行う仕事に携わるようになりました。導入先は、全国各地の病院で、作業内容は、病院の中の患者さんの流れの調査から始まって、採血、検査、結果報告までの流れのヒアリング、それに基づいたシステムのカスタマイズなどで、現地で作業を開始してから、システムの運用開始までに一ヶ月程度かかる仕事でした。
そんな事情で、一時期、非常に出張の多い時期がありました。
休日を除いた年間の稼働日数よりも出張日数が多い、年間270日間の出張というのは、多分今でも、社内の記録だと思います。人間の適応能力というのはすばらしいもので、これだけ出張が多くなると、出張生活を少しでも楽しいものにするために、いろいろな感覚が研ぎ澄まされるようになってきます。たとえば、食事をするためのお店探し。出張中は、一人で食事をする機会も多くなるのですが、全国各地行く先々で、かなりの確立で、安くておいしいお店を探し出すことができるようになりました。特に、私の場合は、アルコールとおいしいつまみがあれば、出張のストレスは、たちどころに消えてなくなるという、幸せな性格ですので、かなり、この感覚には助けられました。
 岡山県の津山では、表から見ると小さな和菓子屋さんなんですが、このお店の奥に、カウンターと、5〜6人が座れるテーブルがあって、夜になると、ここで日本酒と漬物、そして最後にうどんという、隠れ家的な怪しい雰囲気を味わい、博多では、毎日屋台に通って、その屋台には置いていなかった霧島を無理やり置いてもらい、さがりとあげまき、高知では、こだわりの藁で炙ったかつおの塩たたき、室蘭では、メニューに無かった毛がにを破格の値段で、どれもこれも、思い出すだけで、よだれが出てきそうなものばかりです。
 最近は、出張も以前ほど多くは無いので、だんだんこの感覚が鈍ってきているようで、ちょっと残念だなと思っているところです。ここから、比較的最近の話を少し。
一昨年から昨年にかけて、ダイエットを試みました。私のダイエット方法は、ただ、揚げ物を食べないだけ。天ぷら、フライなど、油で揚げているものを食べない、揚げ物抜きダイエットです。食べる量を減らしたり、アルコールの量を減らしたりということは行わず、ただ揚げ物を食べないだけです。私の場合は、出張などで、飲みながらの食事がどうしても多くなります。つまみといえば、串かつ、鳥のから揚げ、天ぷら盛り合わせなど、気づいたらつまみは揚げ物だらけということがよくありました。
この方法は、私にとっては、効果抜群で、一年半で、14キロのダイエットに成功しました。しかし、もういいだろうと揚げ物を解禁したところ、現在は、見事にリバウンドに見舞われておりまして、最もやせたところから、約8キロ戻っています。このリバウンドには、もうひとつ理由があります。それは、タバコをやめたことです。
 私は、昨年の10月にタバコをやめたんですが、それまで25年以上、ショートホープを一日50〜60本吸うヘビースモーカーだったんですが、禁煙したとたん、外食の場などで、タバコを吸わないことで手持ち無沙汰になってしまい、ついつい、箸を動かしてしまうという副作用に見舞われてしまいました。さすがに、そろそろ、リバウンドを止めないと、元の体重まで戻ってしまう危険が出てきているので、そろそろ、揚げ物抜きダイエットを再開しようかと考えています。タバコをやめる前までは、最近の嫌煙の傾向を、苦々しく思いながら、「人にとやかく言われたくない、個人の嗜好の問題だ」ということで、まったくやめることは考えたことは無かったんですが、宮崎でよく飲みにいくお店のカウンターに、たまたま一冊の本が置いてありまして、ちょっと手にとってみたところ、これが禁煙に関する本で、何が書いてあるのかと、パラパラページをめくってみたところ、「この本を読み終えるまでタバコをやめてはいけない」とか、「あなたは、本当はタバコを吸いたいとは思っていない、ニコチンに思わされている」とか、「タバコを吸い続けている人は、とても意志の強い人」だとか、なんとなく面白そうな感じだったので、タバコを止めようとは思っていなかったのですが、本を借りて帰って数日で読み終えました。すると、不思議なことに、「もうタバコはいらないかな」と、素直に思えたんです。手元には、買いためていたタバコがあったので、それから数日は、それまで通りにタバコを吸っていたのですが、友達と嫁さんと3人で、街で飲んでいたときに、手持ちのタバコが無くなったので、それまで使っていた、嫁さんからプレゼントされたライターを、「もう使わないからしまっといて」と言って嫁さんに渡して、その瞬間でタバコを止めました。
嫁さんも、私が、その本を読んでいたことは知っていましたが、今までのヘビースモーカーぶりや、人から何を言われてもタバコを止めない私を見ていましたから、まさか止めるとは思っていなかったようで、ビックリしたようでした。実は、この時まで、嫁さんも喫煙者だったのですが、翌日から同じ本を読んで、数週間後に、同じく禁煙しています。私がかなりのヘビースモーカーだったこともあって、タバコを止めてしばらくは、友人や会社の仲間と話していても、禁煙の話題になることが多かったんですが、私とは違って、「できれば、タバコを止めたい」と思っている喫煙者が多いことに驚きました。できれば止めたいといっている人に「いい本があるよ」と、私の読んだ本を十数人にプレゼントしたのですが、面白いことに、途中までしかその本を読まないんです。読み進めていくうちに、このままこの本を読んでしまうと、タバコを止めてしまいそうな不安に駆られると言うんです。これこそが、この本の中に書かれている、「本人が不安に思っているのではなく、ニコチンや生活習慣に思い込まされている」ことになるんですが、これがなかなか難しいようです。
 この本は、「アレン・カー」という方が書かれた「禁煙セラピー」という本です。最近は、宮崎の本屋さんでも平積みにされているところもあるようです。興味のある方は、ご一読ください。
 最後に、私の今の趣味ですが、なかなかうまくならないゴルフです。
宮崎に来てから、ゴルフを始めたんですが、始めて2年ほどたったころに、あまりにうまくならないので、自分には向いていないということで、一度ゴルフをやめました。
結婚後、しばらくしてから、二人で共通の趣味を持ちたいと話をしていたところ、以前ゴルフを少しかじったことのあるということで、二人でゴルフを始めました。現在は、
二人そろって、レッスンを受けながら、上達を目指しているところです。しかし、残念なことに、やはりスコアは、なかなか、良くならないのが悩みの種ですが、ここで止めてしまったら元の木阿弥ということで、なんとか、人に迷惑をかけなくなるくらいまでは、腕を上げたいと思っています。
 今日は、個人的な話を、長々とお聞きいただき、ありがとうございました。
今後、皆様のご指導をいただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。


菊地 平ガバナー
 皆様、こんにちは。時間が余りまして振られたわけでありますけれど、皆様の手元にはガバナー月信が今日はあると思います。今日だけ読んで頂きたいと思ってお勧めを申し上げますが、16ページを開いて頂きますと、下の方に霧島ロータリークラブの小牟禮会長が書いております。「菊地平ガバナーには公式訪問のときに、むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、話していただきました。又、毎月のガバナーのページは菊地がバナーのお考えや人柄が伝わって毎月楽しみにしておりました。」というふうに書いておりますけれども、今日宮崎クラブの日高会長と話す機会がありました。日高会長は毎月ガバナー月信の前と後ろだけを読んで、後は読みません、と言うことで、喜んで良いかどうかわかりませんけども、そういうこともございました。それから24ページを開いて頂きますと、我がクラブの長崎会員が、「ロータリーの友−英字版」に載りました。
ついでながら、2ページを開いて頂きますと、我が西クラブは「親睦の西クラブ」という風に言っておりますし、言われておりますけれども、「親睦」とは何なのか、ということをそこに書いておきました。皆様の考える「親睦」とは、何なのでしょうか。私は、12〜13行目に書いておりますけれども、「ロータリーの例会は人生の道場」「ロータリーの例会は卒業の無い大学」といわれるように、会員が互いに切磋琢磨して自己研鑽に励む貴重な修練の場の役割を持っております。そして、その結果がロータリアンに「奉仕の心」を育ませることになります。この例会におけるロータリアンのあり方・心持を「親睦」というのです。この例会で学んだ「奉仕の心」でそれぞれが、家庭で、職場で、地域社会で、奉仕活動を実践してこそ、理想とされるロータリーライフなのではないでしょか。「奉仕の実践」は、方法や内容が時代と共に変わってまいりました。歴史が物語っているように、ロータリーの奉仕が創始当初は、個人奉仕を原則としながら、クラブによる団体奉仕も条件付で認められるようになり、非金銭的な奉仕が原則であったロータリーの奉仕がWCSやロータリー財団活動に見られるように金銭的奉仕が大きく取り上げられるようになってきました。時代と共に変わっていくロータリーだからこそ、親睦の原点「例会」を大事にしていきたいものです。また、親睦と親睦活動を混同している会員も少なくありません。クラブの親睦会やゴルフ会は親睦活動であって、ここでいう「親睦」とは違うわけであります。親睦はロータリー活動を形成するために必要な条件でありますけれども、親睦活動はクラブ奉仕に属する活動であり、親睦活動を欠席したからといって会員資格を失うことはないことでも判ると思います。親睦活動委員会は、ここでいう「親睦」というロータリー基本活動をたかめるための補助であって、エンターテイメントも大事なことではありますが、毎週一回の例会・しかもホームクラブ例会出席へ意識を喚起すべきだと思います。と、いうことで親睦はどこにあるのか。例会にあると、皆様の心の中にあると、いうことを申し上げておきたいと思います。
5月21日に東京でガバナー会主催によります全国青少年育成委員会というのがあって、行って参りました。9時半頃、品川駅に降り立ちましたら学生が、女子学生が携帯を触りながら5〜6人がたむろしておりましてホワイトアスパラガスが並んだぐらいの、眼に毒みたいな感じで、見事な足を投げ出して携帯に集中しているわけであります。そして、会議に臨みました。そしたら、働かない、働きたくない、そういう20〜30歳位までの大人が62万人からいるというのであります。それで仕事に興味を持たせるためにロータリアンの皆様の企業で中学、高校の時代から職業訓練を受けさせる5日間研修を取り入れていただきたいというのが文部科学省の担当官の話、依頼でございました。ところが、我々はそこで議論を致しました。5日間も預かってみると企業も迷惑であると。本人達もお菓子屋さんに研修に行きます。最初の1,2日間位はお菓子を食べても良いかもしれませんけれども、5日間も研修を受けると、「あっ、こんなに大変なものだったら、もうお菓子屋さんには就職しない」と、思うかもしれない。或いは職場によっては、なかなか5日間も受け入れる企業はないかもしれないので、是非それは2日位に短縮してはどうかという事を申し上げたわけでありますけれど、役所はすでに一億四千万位の教育委員会の方々の研修の為の予算を組んでしまっているので、何とかそれで皆様のご協力を頂きたいという話でありましたけれども、まぁ文科省自身もやはり職業を、やはり皆様の好みに合うような働く場を見つける、あるいは働くことに意義を見いだすというような訓練をしていきたいと、いう希望でございました。いづれにしても、私たちは働かざる者は食うべからずという教育を受けて参りましたから働くことは当たり前と思っていたんですけども、最近は餓死することもありません。三分のひもじさと三分の飢えを与えることが教育上一番良いのだからというふうに思っているところでございます。
是非、月信もご覧頂きたいと思ってお時間を頂きました。ありがとうございました。(拍手)


 (担当:金丸禮三)
 (写真撮影:金丸禮三)