第2264回例会/平成18年03月31日(金) サミットホールで
会長挨拶(林 務会長)
大相撲春場所が終わりましたので、「心の呼びかけ」という本に掲載されていた中から、大相撲にまつわる話を1つさせて戴きます。
大相撲の双葉山は69回の連勝を打ち立てた大横綱でありますが、この人の片方の目は義眼だったんです。男っぷりがいいので案外気付かれていなかったのです。六歳の時に右の目がつぶれたそうです。5〜6人の子供が集まって遊んでいるうちに、その中の一人が竹で目を突いたのです。
それから少し大きくなり物心が付き始めた頃、父親に尋ねるんです。「とっつあん、いったい僕の目を潰したのは誰か教えてくれ」と。お父さんは「遊びに夢中になって誤ってしたこと、人の過ちをいつまでも咎めるもんじゃない」「人を恨む事を覚えたらお前の為にならん。教える訳にはいかん」と言って叱り飛ばしました。
お父さんが偉かったのですが、双葉山も偉かった。「それじゃ聞かんよ。一生涯どんな事があっても僕の目を潰した人の名は聞かない」と決心したのです。
そして自分に恵まれた天分と力によって片目を失った分まで補っていこうと心に決め、一生涯相撲の道に打ち込んだのです。人に分からぬ努力と精進の末に土俵上の晴れ姿があった訳です。ロータリーの創始者ポールハリスも1910年、「ロータリーは寛容の中に宿る」と述べています。 我々ロータリーにも「寛容の心」が大切だということをあらためて、思い知らされた一文であります。
最後にご報告が2点ございます。
まず1点目ですが、日高文雄会員が昨日、慈英病院の方へ転院されました。もう1点は、のちほどご挨拶頂きますが、本日2名の会員が転勤に伴って退会されます。三井住友海上火災保険の小川雅也会員と、時事通信社の渡辺久之会員です。大変寂しい限りであります。
新しい赴任地でのお二人のご活躍をお祈りして挨拶を終わりたいと思います。
幹事報告(日高 久夫幹事)
・はじめに、いつもでてきますこのグリーンの募金箱、ひとつ宜しくお願いします。
・愛知万博エクスポ2005・ロータリー館出典記念ということで、「国際ロータリー」からプレートが届いております。
・4月の行事予定表ボックスに入れております。4月は28日が休みですので、この会場での例会は2回となります。
出席委員会(阿部 倫也会員)
本日の出席状況報告(前記の通り)
雑誌委員会(中山 正興委員長)
4月の「ロータリーの友」と「ガバナー通信」がボックスに入っております。「ロータリーの友」のP38とP39の「地区のたより」の特集記事を是非お読み下さい。もちろん、我が地区の、菊地平ガバナーの文章もあります。また、ガバナー通信のP1にガバナーの挨拶、最終ページに「ガバナ―のページ」という内容ある文章があります。また、今回はP4に「ロータリーの友・地区委員を10年ぶりに経験して」というテーマで、田崎会員の文章もありますので、是非読んで頂きたいと思います。
親睦委員会 (植松 孝一会員)
ハッピーのご紹介と来週の親睦会についての最終ご案内を申し上げたいと思います。
まず、ハッピーをご紹介したいと思います。
◎塩月 光夫会員 3月18日 ご長男(キヨシ様)が結婚しました。
◎市来 斉会員 孫の章裕(アキヒロ)が西高理数科に合格いたしました。
◎小川 雅也会員 この度、4月1日で本社へ転勤します。単身赴任通算10年をやっと解消できることを喜んで(女房は喜んでいませんが)ハッピーとさせて頂きます。
◎黒木 育子会員 3月17日の100%例会は、会員の皆さんのご協力を得まして達成できました。ありがとうございました。3月17日、18日UMKC.Cで開催されましたシニアゴルフ大会 グランドシニアの部の優勝者、木原ヨシオは、(株)黒木総合鑑定の顧問でした。スコアは両日共に79位だったと思います。
続きまして、来週の観桜会について最終のご案内を申し上げます。
4月7日(金)青島水光苑で開催させて頂きます。
18:00から例会 18:15から観桜会をさせていただきます。
現在、50名ほどの方のご出席予定を伺っておりますが、多数のご出席をお待ちしています。バスの手配についてですが、17:00に宮崎駅東口に待機して、17:10に出発します。水光苑に直行します。帰りは人数がまとまれば途中下車も可能と思いますし、帰りだけバスを利用されることも可能ですので、バス利用希望がありましたら、私ども事務局にお申し出ください。
退会のご挨拶(小川 雅也会員)
こんにちは 大変お世話になりましてありがとうございました。一言、御礼を申し上げたいと思います。
2年前の6月に入会させて頂きまして、わずか1年と10ケ月くらいの、ほんとに新米のロータリーのロの字も今だに分かっていない人間でございますが、皆様にお引き立てを頂きまして、大過なく宮崎の勤務を終えることができました。ちょうど本日が、年度末の締めでございまして、明日の朝、出発することにしております。もどりますのは、東京の本社の7Fでございまして、販売推進部というところで営業の支援をすることになりました。営業の第一線からは、はずれることになりますが、宮崎の方を見ながら、この仕事をさせて頂きたいと思います。部下には、必ず、宮崎での仕事をつくる様指示して、何度か帰ってまいりたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。後任には、銚子支社長がまいりますので、また、ご推薦頂いて入会を是非お願いしたいところでございます。本当に短い間ではございますが大変お世話になりました。
ありがとうございました。
退会挨拶(渡辺 久之会員)
西ロータリーに入会させていただいてわずか1年3カ月という短い間でしたが、皆様には本当にお世話になりました。宮崎に赴任して丸3年が経ちますが、もっと早くから入会していればと悔やんでいるところです。宮崎は住みやすくてとてもいいところです。豊な自然、人情味溢れる人々、この3年間で宮崎が本当に好きになりました。でも、自分の育った新潟の田舎の次に―と申し上げておきます。どんなに不便で、どんなに雪が降ろうと故郷は無条件で好きなところです。多くの方々が「リタイアしたら宮崎に住んだら」と言ってくれます。それも考えなくはありませんが、やはり故郷に帰りたいと思います。 最後に宮崎を辞すにあたり、「天孫降臨高千穂の 山より出でし五ヶ瀬川 臼杵を潤し延岡に至る」「ひえつき節がこだます椎葉の山と 護り護られ幾千年 命繋ぎし人々を想う」「人皆優し宮崎に 恩愛受けて早三年 霧島おろしの厳しさも 名残は尽きず都城」以上、格調高くとはまいりませんでしたが、西ロータリーの益々の発展と会員の皆様方のご健勝・ご活躍をお祈りいたしまして、御礼とお別れの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
<追伸> 会報委員を10カ月程度ですがやらせていただいた中でのお願いです。この場で5分以上お話しをされる場合は、必ず原稿をご用意いただきますようお願いいたします
新入会員卓話(比江島 昌信会員)
みなさん こんにちは 会員のみなさまにお役に立つ卓話ということで、いろいろ考えたのですが、私も金融界におりますので、金融の変遷について、私的な部分もまじえながらお話しをさせて頂きたいと思います。現在、公定歩合は0.1ですけれど、一番高いところで9%という時代もありました。そうしたことも折り混ぜながらお話をさせて頂きます。
私は、宮崎相互銀行の時に、(S47年)に入行しまして、最初の赴任地が佐伯支店でございました。、当時、新入行員は3週間ほどの研修を終えて、赴任するのですが、研修を終えて辞令をもらう時に、学生気分が残っておりまして、人事部長に「どうしてそんなところに?」などと言って怒られたことを記憶しております。
佐伯がどんなところか分からない中で赴任したのですが、当初、初任給が40,500円で、下宿代が18,000円、残りがあまりなかった状態でした。当時は、警備関係の体制があまりなくて、その代わり宿日直がございまして、夜は必ず誰かが泊まらなくてはならない訳ですが、当然、独身の私が頼まれまして、ほとんど毎晩、泊ってくれと言われました。当時、20数名の行員がいましたが、独身は私だけでいろんな人に頼まれまして、結局、一泊600円くらいの宿直手当が20日間、計12,000円、初任給40,500円とで何とか生活が出来たという感じでした。思い出として、夜一人で宿直している時、ひまでしたから遠く青森とか東京の友人にまでTELをかけており、TEL代が急に上がって最終的に私が犯人だということが判明して、支店長に叱られた思い出があります。(弁償しろとは言われなくて良かったです。)その時の私どもの資金量は450億でした。今では、10倍以上になっておりますが。そして行員は600名という陣容でした。
嫁さんをもらえということになりまして47年12月、お見合いをさせられまして、48年4月に結婚した訳ですが、1年で異動になりまして、県の南の方になる青島支店の勤務になりました。青島支店で3年間過ごしました。橘ホテルもあり、とても賑わっておりました。定期預金の係をしておりましたが、お昼にお客様も多く、昼食が食べられない時が多かったくらいです。47年当時、話題になったのが、元日本兵の横井正一さんのことでした。公定歩合5%から48年8月に7%へ。オイルショックもありましたが、給料が上がった時でした。当時、まだ宿直もあり、お正月の宿直で嫁さんと2人で、銀行に一日いたという思い出があります。@LFS50年には、新幹線が博多に開通しました。S51年、南支店に転勤しまして、ここでは長くおり、いろいろな経験をさせて頂きました。毎日、集金をしておりました。S52年頃からスタートしたオンラインまでは、為替の送金もTELでやっておりまして、福岡銀行の博多支店への送金もTELでやっているという、のんびりした時代でした。現在、手形は少なくなりましたが、当時は多かったと思います。55年ころ、公定歩合が一番高かった頃で9%もありましたから、長くは続かなかったのですが、2年定期の利息が8%、1年定期が7.75%、普通預金3.8%という時代がございました。100万円あれば8万円の利息がつく、しかもマル優制度がございまして、300万までは利息に税金がかからない時代でした。マルマル利息が手元に残ったという時代でした。それと銀行は、半期決算をやっておりまして、(今は1年決算ですが)9月決算と3月決算と2回やっておりました。これがずっと続いたのですが、たぶん、56年頃1年決算になったということがありました。今のように、銀行によって金利をつけるような時代ではありませんでした。投信もありませんでしたので、時代によってずいぶん変わってきたと思います。私が入行した時は、都銀、地銀いろいろ合わせ1200行ありましたが、今は約600行ちょっとになっておりますし、今後もっと少なくなるんじゃないかと思われます。我々の業界(第2地銀)も、当時、70数行あったのですが、今では47行です。それだけ変化の激しい業界です。今後も多業界、生保関係、損保関係にも銀行が顔を出すという事になりますし、イーバンクなどの新しい銀行形態、また、郵便局もありまして、大変激動化するんではないかと思うのです。最後に、私どもが、相互銀行から普通銀行に転換し、宮崎太陽銀行になりましたのが、平成元年2月1日、そして平成2年2月14日上場しました。その時の資本金が32億3200万ということで、今後、尚一層皆様からのご期待に応えるべく頑張っていきたいと思っております。
最後に、営業関係を統括している部署でございますので、何かございましたら、ご相談頂ければお手伝い出来ることなど、今後とも宜しくお願い申し上げます。 非常にとりとめのない話になりましたが、以上で終わります。 ありがとうございました。
(担当:山本勝美)(写真撮影:渡辺久之)→最後の仕事