第2260回例会/平成18年03月03日(金) サミットホールで
会長挨拶(林 務会長)
弥生月に入りました。昨日今日と少し寒さが戻ってきておりますが、いよいよ春到来、ゴルフに旅行にと、何となく心がウキウキ致します。
春といえば我がクラブの観桜会は、諸々のスケジュールの関係で4月7日の第一例会、場所は船蔵会員の水光苑ホテルとなりました。予報によりますと、今年の桜の開花は早いようで、桜の入手が困難かと思われ、親睦委員会にはご苦労をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。また、会員の皆様におかれましてはご家族奮ってご参加いただき、春の宵の宴を楽しんでいただきたいと存じます。
さて、先週よりオープン致しました喫茶コーナーでありますが、当シーガイアスタッフのご支援をいただいて、我がクラブが運営する我が西クラブだけのゆったりとしたくつろぎのスペースであります。例会終了後、別段コーヒーを飲まれなくても、会員同士の語らいの場として是非ご利用いただきたいと存じます。なお、格安の100円はハッピーに寄付させていただきます。
先週の土曜、R情報委員会による新入会員研修を実施いたしました。100年の歴史を数えるロータリーを僅か1時間という短い時間で知ることは不可能でありますから、今後も例会には必ず出席されて、卓話をお聴きになったり先輩会員との談笑の中でロータリーを勉強していっていただければと思います。
出席と言いますと、最近の出席率は非常に悪い。クラブ運営を預かる私の責任でもありますが、どうか例会への出席をお願い申し上げます。出張等で、来週はどうしても欠席という会員は、早めにメイキャップをお取りいただき、100%例会にご協力ください。
幹事報告(日高 久夫幹事)
本日は3月3日お雛様。私の職業であるお菓子屋さんはちょっと忙しいんですが、幹事という役目柄、ロータリー優先ということで出ております。ひな祭りの語源は、平安時代には雛遊び、室町時代にひな祭りという形でことばが確定して、江戸時代に豪華な3段とか5段というような今の形になったようです。きょうNHKのFMで言っていましたが、女の子を祝う祭りは世界でも珍しく、ひな祭りが唯一だそうです。
大阪ロータリークラブよりバナーが届いています。それから、各テーブルにバスの時刻表を用意しました。あと余談ですが、演台がようやく会場に帰ってきました。平成3年にフェニックスでつくりまして、13年の11月からこの1月まで宮崎観光ホテルにありましたが、またフェニックスに帰ってきました。幹事報告終わります。
出席委員会(阿部 倫也委員)
本日の出席状況(前記の通り) 先ほど会長からもお話しありましたが、来週3月10日、100%出席例会にさせていただきたいと思います。お忙しいところではございますが、ご協力いただきますようお願い申し上げます。
親睦委員会(吉田 信一郎副委員長)
・結婚(12名)市来 斉会員、井手脇 万詔会員、上園 哲朗会員、大江 幸政会員、大薗 英治会員、岡崎 優会員、金丸 宜裕会員、児玉 寛太郎会員、堺 久会員、西田 英敏会員、増田 秀文会員、山口 平二会員
・誕生(5名) 黒木 寛会員 古賀 保会員 塩月 光夫会員 志多 克彦会員
山口 平二会員 堺久会員は昭和21年3月30日にご結婚なさいまして、本年で60年、ダイヤモンド婚をお迎えになるそうです。また、古賀保会員は3月10日で70歳をお迎えです。
雑誌委員会(中山 正興委員長)
2006年度から2007年度の「ロータリーの友」の表紙の作り方は会員参加型になりました。これまではプロの作品を表紙に使っておりまして、会員から募集するのは、おそらく初めてではないかと編集部では言っております。四季折々の写真を広く会員から寄せてもらい、より親しみのある「ロータリーの友」にしたいということでしょう。写真募集のお知らせが3月号の縦編集の33ページに掲載されています。ご一読ください。
注意事項がいろいろありますが、要点だけ申しますと、締め切りは4月30日。紙焼きにして送ってください。その場合のサイズは4つ切りとありますが、A4サイズで構わないということです。縦、横自由です。過去の写真で構いません。撮影データが分からない場合は、不明のままで結構だそうです。是非応募してください。
新会員卓話(木村 元重会員)
皆さんこんにちは。「お仏壇のきむら」の木村元重と申します。入会したばかりでまだ分からないところが沢山あります。諸先輩方を前にお話しするということで自分だけ温度が上がっています。お聞き苦しい点があろうかと思いますが、どうかよろしくお願いします。
私は「お仏壇のきむら」の三代目になります。少しだけ会社の説明をさせていただきますと、曽祖父が愛媛県は松山市から出てまいりまして、延岡市の方で明治30年より創業させていただいております。100年ちょっと経っているわけですが、会社設立記念日がきょう3月3日です。会社設立からはまだ21年、現在県内に5店舗営業させていただいております。5店舗になってから15年ほどになります。5年ほど前から宮崎県下、南九州、沖縄も含めて年間1000本〜1100本のお仏壇の販売と、お墓を同じく年間150基ほど建立させていただいております。従業員はパートさんを含め45名くらい、墓石の方は10名ほど抱えています。社長曰く、まだまだ宮崎市では浸透しておらず、まだまだ力が足りないということです。ここにいらっしゃる方々のお力添えの下で早く羽ばたきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
きょうは、私が少しは皆様よりも回数をこなしており、お役に立てることは何かと考えたときに、職業柄、お通夜、お葬式に関するお話しをさせていただきたいと思います。お通夜などの場に参列してみますと、意外と「作法が違うな」という方も多々見られます。記帳ひとつとっても、あれっ!と思うものや、非常にきれいに見える方など様々です。皆様既にご存知ではありましょうが、ここで改めて作法についてお耳を貸していただければと存じます。
お通夜、お葬式に行かれる場合は、まず仏式、神式、キリスト教式の別を確認されていると思います。
まず仏式。記帳するときに金封を裸で出される方をお見受けします。金封ですので裸で持って行けば裸銭といっしょです。やはり袱紗というものに包んでいただき、会場に近づきましたら金封を取り出して持っていくのが正式です。記帳する前に必ず台の上に載せ、記帳してから出すというのがマナーのひとつですが、恐らく出した後で記帳する方が多いのではないでしょうか。慶事、弔事でも袱紗に入れて持っていくことをお奨めします。
記帳が済みましたらご焼香となりますが、気になるのは数珠を持たないで参拝に行かれる方が多いということです。仏式では男女を問わず数珠を持って行くのがマナーだろうと考えます。仏教の世界では右が清浄な手、左が不浄な手と申します。左手に数珠を持ち、喪主の方にまず一礼、焼香台の前に立ちまして写真に向かって軽くお辞儀をしてから焼香ということになります。宗派等にとって焼香の仕方が様々ありますが、皆さん戸惑っているようです。何も心配はいりません。お焼香、刻んだ抹香と言いますが、線香でない場合、右手で一つまみ取り、左手を添えてください。そして一度上げてもらえば結構です。
これが大体のマナーになります。宗派によっては、三度頭に押し戴くとところもあります。3回上げなければならない宗派もあれば、1回でいい宗派、何もしなくてもいい宗派など様々です。私たちプロは戒名を見れば、どの宗派かすぐ分かりますが、皆様方は1回右手で取りまして左手で下げ、少し上げて1回1つまみ落としてあげれば差し支えありません。その後にしっかりと片手に数珠を持ち両手で挟む、もしくは中に通して合掌します。このときに少し(3秒間ぐらい)時間を置くときれいに見えます。それから再び写真の顔を見て軽く一礼して下がり、最後に喪主の方々に深々とお辞儀をするのがよろしいのではないかと思います。
皆さん、自宅に帰られたら清め塩をされる方が結構おられると思いますが、仏式では清め塩は一切しません。大分、熊本、鹿児島では仏式の葬式で清め塩を入れるのを完全に廃止しています。清め塩というのは、神式で言えば「払いたまえ清めたまえ」ということで塩を使いますけれども、仏式の場合は「亡き人偲ぶ」ということで、亡くなった方に対し塩を撒くのは大変失礼となり、本来塩は使いません。ただ、葬儀屋さんの方で必ず清め塩が入っていますし、テレビの影響も大きいようです。豆知識として覚えておいていただけたらと思います。@LF 次は神式です。記帳については仏式と変わりはありませんが、焼香に当るところが違います。神社に行かれたら二礼二拍手一礼をしますが、葬式も二礼二拍手一礼です。葬儀屋さんに行くと、線香が焚かれていることがありますが、神社に行って線香を焚いた方は一人もいらっしゃらないと思います。私どもは神式で線香は絶対に上げません。線香は仏式の流れです。仏様は物を食べませんので線香の煙が食べ物と言われています。神式の場合、亡くなった人はすぐ土にかえり天国に行くという発想で、どちらかと言うと「清める」ということを踏まえ「不浄」の考えをとっています。
二礼二拍手一礼の拍手は音を発てません。神式のときに数珠をしてきたり、逆に二礼二拍手一礼をしなかったりという場面を散見したりします。子供に示す意味でも大人が作法をしっかりと身に付けておくべきではないかと思います。
あとの宗派、宗教によっては様々でありまして、キリスト教は献花、最近では音楽葬、個人葬等々ありますが、仏式や神式だった場合に、少しは役に立てていただければと思い、お話しさせていただきました。
菊地 平ガバナー
ピンチヒッターで出てまいりました菊地です。どうぞよろしくお願いいたします。
私はこうしてお話しながら、今あることの不思議をいつも考えます。
地球から一番近い星、月までの距離は34万キロあって、その距離の400倍のところに太陽があり、その長さの200倍が太陽系という宇宙で、銀河系宇宙は、なんとその3億倍の大きさだというのです。
また、われわれの地球が属する銀河系には、太陽のような恒星が4000億個あって、そのうちの3分の1には、地球や火星のような惑星が付随しています。その数の平均を10個と仮定すると、我々の銀河系だけで1兆3000億個の惑星があることになります。
さらに驚くことは、そんな大きさの宇宙が1000億個もあるというのです。広大にして無限、言葉もないこの漆黒の大宇宙の片隅にあるこの小さな地球に、たまたま生きて、今、日本の片隅、宮崎の此処にいる何と不思議なことではないでしょうか。だからこその出会いを大事にしていきたいものです。
「出会い」といえば、皆さんは「一期一会」という言葉が好きだと思います。今日は全国的に3月3日です、今から146年前の、1860年3月3日は、時の幕末の大老・井伊直弼が折からの雪を血に染めて、水戸浪士の襲撃にあって非業の死を遂げたその井伊直弼が「茶湯一会集」の中で書き残している言葉です。「そもそも、茶の湯の会合は一期一会と言いて、幾たび主客交会すると言えども、この会再び帰らざること思えば、わが一世一代の会なり」と言っています。毎週の出会いのロータリー例会も、この会再び帰らざると思って参加出席すれば、気持ちも態度も自ずから変わってくるのではないでしょうか。
先月2月19日は宮崎県中部分区と南部分区合同のIM(インターシティ一・ミーティング)がシーガイアで開催されました。多くの皆さんに参加をいただきまして、ありがとうございました。
そのIMの講師は占部賢志先生でロータリーの友・昨年4月号に掲載された方です。占部先生はこの講演で、大和心、大和魂、武士道について、日本人の歴史の鏡としての講演は感動ものでありました。トルコやポーランドの国が80年も経って恩返しをしてくれた話は、語り伝えて行かねばならないと思います。
日本がロータリーに入会してたった3年後の1923年、関東大震災に驚異的な好意を世界から受けたという国際ロータリーの情けも、事実を永く後世に伝えていきたいもので、このことは、月信や地区大会でも、取り上げましたから省略しますが、戦後史上最も悲惨な時期に援助の手をさしのべてくれた旧敵国、アメリカの好意もこの際、記憶に留めたいと思います。
それは1945年(昭和20年)8月15日、ポツダム宣言を受け入れ、日本はアメリカに負けました。当時は、空爆で住む家もなく、防空壕や駅の地下道で暮らし、両親を亡くした子供たちは浮浪者となり、食べる物もなく、餓死していったのでした。「ララ物資」というのを記憶している人も今は少なくなりました。戦後の大変なとき、戦争中に南米や北米の収容所に入れられて迫害を受けた日系人団体を含めて、キリスト教団体、ガールスカウト、労働組合など13団体のNGO「ララ」から、1946年(昭和21年)に「ララ物資」という名の物資が届けられたのです。医薬品、衣料、食料、資金が約400億円で、当時の日本国一般会計予算の実に4分の1という途方もない援助を受けたのでした。@LF 私より後に生まれた人たちは皆この恩恵に預かっています。このことによって約1500万人の子供たちの命が救われたと言われています。外国特派員が驚いたことがありました。それは、日本は貧しく物資が無いのに誰一人として、横流しするでもなく、公平に平等に日本の隅々までララ物資が行き渡っていたというのです。日本は貧しくともモラルの高い国だったのです。だったと言わねばならない悲しい国に成り下がってきています。
ララ物資の受け取り組織をつくるために、日本のキリスト教団体の代表がアメリカに行ったときのことです。ある女学校を訪ねたとき大変に驚きました。それは、その日、女学生たちは昼食を食べていなかったのです。「食べたことにして、そのお金を募金箱に入れて、日本の子供達に送るのです」「なぜこんなにしてまで援助するのですか?」、答えは「日本人が非常に感謝して援助資金を有効に使っているからです」と言ったというのです。そのころから、100万ドル食事はアメリカでは一般的に行われていたんです。そのことから、ロータリアンのロータリアンたる所以は何なのでしょうか?100年の歴史を超えて守るべきは、相手に対する共感能力なしには奉仕の意味が無いのではないかと思うのです。今こそ『超我の奉仕』の源泉としての、相手を思いやる、相手の側に立つことを勉強いたしましょう。
私は1年前アナハイムでガバナーとしての研修を受けましたが、その時の課題は、新渡戸稲造の「武士道」を熟読してくるようにということでありました。日本の武士道は「超我の奉仕」の原点に相通じるものがあると知ったのでした。明治・大正までの日本人には「卑怯は切腹に値する恥ずべきこと」という感覚が染みついていたのですが、戦後、武士道の衣を脱ぎ民主主義の衣に着替えてから急速に廃れてしまいました。最近では、「卑怯なことはやめろ」と言っても「法律に違反していないのだから、何が悪い」と開き直る始末で、いまや日本人は品格なき民族になり下がってしまいました。耐震偽造事件、ライブドア事件、東横イン不正改造事件、そして民主党メール事件などを見れば一目瞭然です。
だからこそ、職業奉仕を通じて、私達自身が品格あらしめなければならないと思います。日本はなぜ欧米列強の植民地にならなかったのでしょうか。江戸末期の日本の識字率の高さは50%と世界最高で、加えて日本の文化の高さ、武士道精神が隅々まで行き渡っていて「とても植民地にはできない」と畏怖したからだといわれます。「武士の情け」として有名な逸話があります。今から51年前、1955年「森永ヒ素ミルク事件」が起こりました。森永ミルクに混入したヒ素によって一万人を超える乳児が健康被害を蒙り、130人に及ぶ乳児が死亡という食品中毒事件です。当然、森永乳業の製品は売れなくなりました。その時、ライバル会社の明治乳業は何をしたか?普通はこの際販路拡大に走ると思われるのですが、その時の明治乳業はどうしたか。「武士の情けだ、販路拡大はやるな!」と言って末端の営業マンに指示したのです。まだ、職業奉仕としての、相手を思いやるということが生きていたのだと思います。「職業奉仕」といえば、1989年RI理事会において採択された「職業奉仕に関する声明」によって、従来の職業奉仕「I
SERVE」に加えて、会員が持っている職業上の才能を地域社会に役立たせるため、クラブとしてのプロジェクトを実施し、促進し、発展させようというクラブとしての役割「WE
SERVE」が提唱されました。従って、「 SERVE AND WE SERVE」となったことを、時代の流れとして受け入れなければならないと思います。ライオンズは「
SERVE NOT WE SERVE」なんですが、わがロータリーは「SERVE
AND WE SERVE」という時代変化を受け入れてください。それは、世界の医師たちが、ポリオ撲滅に立ち上がって、延べ100万人のロータリアンが自分の職業を通してServiceしたことが、このことを物語っています。
身近なことでは、我がクラブがバングラディッシュに病院建設をしたことなど、見事な「WE
SERVE」であります。第二次世界大戦を期に社会奉仕が世界奉仕に変化してきたことを認めなければなりません。
さて、私の一時的な障害者としての体験の一つは、五体満足は最高の幸せだとの改めての実感でもありました。車椅子で東京へ、鹿児島へと家内の介護を受けて、ロータリーの会議に参加して参りました。そこで、改めて家内に言いました、生まれ変わったら、またお前と結婚しようと。家内は何と言ったと思いますか? もう探しに来ないで!と言ったのです。
これは、慶応義塾大学学長・小泉信三が、わが子海軍主計大尉・小泉信吉に宛てた手紙の中で書いているのです。
君の出征にのぞんで言って置く。
我々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ変わって、妻を選べといわれたら、幾度でも君のお母様を選ぶ。同様に、若しもわが子を選ぶということが出来るものなら、我々二人は必ず君を選ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君は、なお父母に孝養を尽くしたいと思っているかも知れないが、我々夫婦は、今日までの24年の間に、凡そ人の親として受け得る限りの幸福は既に受けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。
ということから、私はいつも本心で家内に言うのですが、ダメですね〜。
遺伝子研究の村上和雄博士は「遺伝子に神を見た」と言っています。5本指の1本でも不自由になったら大変です。親指は短くて、節も少なく他の指より不恰好ですが、親指なしにはペンも取れなければ、湯呑みさえ満足に持てないのです。中には、小指の一つぐらい無くてもと、指をつめる世界があるようですが、皆さん小指が無ければ、ゴルフクラブを握るのに力が入りませんし、刀も持てません。拳を固めようにも力が入らないのです。山口副会長に言わせると、貴方に歯向かいしませんと言って小指を差し出すのだそうです。創造主・神の偉大さ、生命の不思議を思わずにはいられません。
地区大会と公式訪問のハードスケジュール全てを終わったばかりの油断からの墜落骨折という不始末でしたが、お蔭さまで今は五体満足です。 中国の古典「孝経」に 身体髪膚 之を父母に受く 敢えて殷傷せざるは 孝の始めなり 過誤の禍咎にて 躯幹を害なう 粗相避け難く 正に予愁うとあります。何万年と続く目に見えない私たちの内なる遺伝子のように、ロータリーにも100年の良質の遺伝子やロータリー2世紀へ正しく伝えて行きたいものです。
私は、地区協議会で申し上げましたが、アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーの言葉をもう一度申し上げます。「神よ、変えることの出来るものについては、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。変えることの出来ないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして変えることの出来るものと、変えることの出来ないものとを識別する知恵を与えたまえ」と言っています。
(担当:渡辺久之)(写真撮影:金丸禮三)