第2259回例会/平成18年02月24日(金) サミットホールで
会長挨拶(林 務会長)
トリノオリンピック。やっとメダルが取れました。しかし今回は金一つで終わりそうですね。金と言えば3000万円送金メール。どう展開していくのやら?
さて 先週の金曜日に「出向者懇談会」なるものを開催させて戴きました。毎年、我がクラブからは数名の出向者を輩出しているにも拘わらず、出向者の皆さんの活動内容やご活躍の様子、あるいはご苦労が伝わりません。せめてクラブの執行部だけでも、出向者の皆さんに対しご慰労申し上げるべきではないかと考えた次第であります。その席で地区諮問委員をお務めの竹内PGより「地区内において現会員に2名のガバナーが在籍するクラブは我がクラブだけである」というご発言があり、改めて我がクラブを誇りに思った次第であります。
さて日曜日には、ここサミットにてIMが開催されました。ご参加をいただきました29名の会員に敬意と御礼を表する次第であります。
さて、そのIMでありますが、田崎博俊会員が「超我の奉仕」の歴史について詳しく解説されました。ロータリーのモットーがロータリーのテーマになったのは本年度が初めてであるといった内容で、さすが田崎博俊会員と感嘆したところであります。また、相変わらず耳触りの良い透き通った声の菊地Gのアドレスは、その内容も参加者の心に染み込む素晴らしいもので、まさに我が西クラブの面目躍如といった雰囲気であり、またまた我がクラブを誇りに思った次第であります。
ただ誇らしげに思うのは身びいきがあるからであり、本当のクラブの評価は周りがするものであります。どうか周りからも高い評価を戴けるクラブになるべく努力したいものであります。まだ事業を残しておられる委員会もございます。年度最後迄、しっかりと事業の推進をお願いいたします。
尚、最後になりましたが例会場移転につきましては、先週の理事会において承認されましたので、早速宮観さんに申し入れを行い、心よくご了承頂きまして、正式に決定いたしました事をご報告ご報告申し上げます。
幹事報告(日高 久夫幹事)
○ 本日はロータリー財団一人100ドル達成の為の募金箱をお回ししますので宜しくお願いします。
本日は、5点ほどご連絡、ご報告致します。
1.本日のボックスの中に、新会員候補者のリストを入れておきました。理事会、職業分類、会員選考の作業は無事通過致しました。もし、異議がございます場合は、7日以内にお申し立てをお願い致します。
2.3月の国際ロータリーの為替レートが、3月より114円が118円に変更になります。
3.第28回、宮崎県中部分区青少年指導者養成研修会、通称ライラのご案内を次回例会にはボックスに入れておきますが日時が 4月15日(土)12:00〜
4月16日(日)12:00〜
参加者が、20代の男子2名、女子2名が各クラブの割り当てになっておりますので宜しくお願い致します。
4.明日2月25日に新会員の研修及び歓迎の懇親会を行いますので出席予定者の方は宜しくお願い致します。
5.最後に、うれしいニュースという訳ではないのですが、本会場の2Fのコーヒーコーナー、通常クローズしています(エスペランサ)という会場で紙コップで20〜23名分のコーヒーをご用意してロータリー終了後、今日からオープンします。
その時に、100円を基本として、それ以上でも結構ですので宜しくお願い致します。また、その会場の名前を来週例会で募集させて頂きます。ちなみに林会長から「カフェ・ロータリー」という案が出ております。宜しくお願い致します。
出席委員会(黒木 育子委員長)
本日の出席状況(前記の通り)
2月に100%例会をしたかったのですが、今年に入って出席率が悪い状況です。改めて3月の第2週を100%例会としたいと思います。今日のピンクのペーパーには書いていませんが、来週にはメモを入れて頂きますので、3月第2週100%例会を目指してご協力を宜しくお願い致します。
親睦委員会(上園 哲朗会員)
・竹内 三郎会員よりのハッピーのご紹介
このたび大学受験浪人中の孫が、二人とも希望の大学に合格し、私には最高の春を迎える事が出来ました。そのうち近所に住む娘の子の方の孫は、合格後帰省して私の家を訪ねて来て、喜んで迎えた二人に対し、きちんと正座して「おじいちゃん、おばあちゃん、長い間ご心配かけました」と挨拶。浪人中受験勉強のみではなく、人間的にも立派に成長している事を感じ、さぞ立派な医者になって呉れるだろうと嬉しく感じまし喜びの気持ちの一端として、ハッピーボックスを出させて戴きます。
ゲスト卓話(シーガイア・リゾート人材開発コーディネーター、アルダ・ボール氏)
皆様、こんにちは。こちらのフェニックス・シーガイア・リゾートへようこそ、お越しくださいました。改めて、お礼申し上げます。こちらのフェニックス・シーガイア・リゾートのご利用を頂き、誠に有難うございまず。
フェニックス・シーガイア・リゾートの会議場、ご利用の上、私を呼んで頂き、大変うれしく思っております。ご紹介の通り、私はシーガイア・リゾートの人材開発部に勤めております。
カリフォルニア州都のサクラメントの北二時間にある超田舎町の牧場から11年前に日本に参りましたアルダ・ボールと申します。宮崎県に来て最初に住んだところは、都城市でした。都城のなまりがついて、そのあと宮崎市に来て、さらになまりがついて来ました。でも、そのなまりが大好きです。
皆様に、これから、何故、私は日本、しかも南九州の宮崎に辿り着いたきっかけの話をさせて頂きます。最後まで聞いて頂ければ、皆様はおそらく、「私の居場所はいい場所の宮崎」だと納得して頂けるかと思っております。では、まず、私の家族の紹介から始めます。私は5人兄弟で、末子の女の子です。私の上は4人の兄ばかりです。母はどうしても、女の子が欲しくて、諦めず、友人と同じく、養女をもらいました。2才の時に、韓国からカルフォルニアに来ました。生まれは韓国のソウルです。実家の町は小さな農業が多い、田舎です。自然がすごく大好きで空気も水もきれいで、だから宮崎が大好きなのかも知れません。いつもいつもいいことばかりではなく、白人ばかりいた町で、私は一人東洋系の人として、その中に入るのはチョット大変だった思いがあります。思い出にあるのは、幼稚園に行って、初日、誰も一緒に座ってくれなかったのは、チョット大変でした。特に4才の時に、一緒に仲間がつくれなかったのがつらかったです。私の顔が少し回りと違ったからです。
次に一年生の時に聞かれたことが、頭から離れないのですが、「どこから来たのですか、火星から来たの?」と言われて、アッと思いました。家に帰って、母に「どうして、みんな私に言うの?」と、聞きました。母は、子供は何でも言うわよ。そのまま考えた事を言うのですよ。でも、この目のままでは、また、周りから言われると思って、手術しようと思って、きれいな目にして下さいと言った時に、母は母らしい励ましの言葉で返してくれました。「あなたはきれいな目をしているよ。」でも、回りは白人ばかりで、何回も壁にあたって来ました。だから強くなって来れたと思っています。
そうして、白人の中で育てられて来ましたが、心の中にどうしても「同じ様な顔の人」と一緒にいたいと思いまして、その夢が叶いまして、1983年に1年交換留学の奨学資金が出て、自分の希望している外国に行けるチャンスでした。まず、生まれ故郷の韓国を希望したけれども、当時、韓・米政府関係は悪くて、留学は不可能でした。でも、顔が目立たないような国に行きたかったので、日本に決心しました。日本に決定だったのですが、もちろん日本語はまったく判りません、聞いたこともありませんでした。しかも、日本はどこにあるか、ぎりぎりの知識で来ました。17歳の若さで、頭はスポンジの様に吸収力があった事とだれも英語がしゃべれなかった茨城県の日立市のホームスティーだったおかげ、半年間で聞き取れるようになりました。1年の前半は高校で見学し、後半は幼稚園でボランティアの仕事をしてました。その間、日本の子供達が、どういう風に育ち、勉強しているかを一緒に学びました。帰国後、カルフォルニア大学、サンタクルス校で日本語を専攻し、卒業2年後、また、親の反対を超えて、海を渡って、日本に再び行きました。再び日本に来て、まず、ホッとして、東京で就職活動してまいりました。最終的、京都で面接が受かり、京都で働けると思ったら、英会話学校の姉妹校が都城にありました。2年間、都城での幼稚園で英語を教えました。その時、まだまだ日本語が完全ではなくて、特に名前がむつかしいと思いました。名前はローマ字で横に書いてありますが、どこで、区切るのか分からず、フクシゲユキの名前をゲユキと呼んでいて、半年間、返事をしてくれなかった思い出があります。校長先生に相談したら、ユキと教えてくれて、その子の名前は、フクシゲ、ユキちゃんでユキと呼んだら、ちゃんと明るく返事をしてくれたのを覚えています。2年後、宮崎の海に私の心が引かれて、宮崎に転勤しました。日照日数が一番多い宮崎は、この真っ黒に日に焼けたいカルフォルニア人の私にぴったりでした。子供の英会話学校で、子供の成長を見て、感激しながら、知らない内に2年も経ちました。子供達の成長を見ながら、自分も磨かないといけないと反省しました。英会話学校から180度変わって、医療関係の会社に入社し、1年半で翻訳や通訳をスキルアップできました。夢に向かってもっと努力しなければいけないなと思いました。夢は同時通訳です。
同時通訳はとてもむつかしい事ですが、今でも夢を持っています。いろいろな仕事を通じて目指していこうと思っています。
そして、また、方向を変えて、新聞社に入社しました。短い体験でしたので、いったんアメリカに帰国し、1年間頑張って見ようと思いました。でも、やはり、宮崎が恋しくて、また、以前勤めていた、子供英会話学校で1年間英語を教えました。せっかく、宮崎に戻って来たので、自分の日本語能力が上達できる環境に変えた方がいいかと思いました。より充実した仕事が出来るため、フェニックスシーガイアリゾートに4年前に入社致しました。入社した時、何も分かりませんでした。大きな企業で仕事したこともなく、企業用語も分かりませんでした。フェニックス・シーガイア・リゾートの皆様の支えでここまでこれたかなーと思っています。
いろんな面で、宮崎が大好きです。気候、人柄、人情、食べ物......一番の大好物が地どりと冷汁です。縁があって、広いところに住むのは、自分のルーツである牧場から来ていると思います。人が沢山いるところは苦手です。宮崎はのんびりしていて、いい意味で落ち着いています。@LFということで、11年も経ちました。永住権を申請しようと思っています。宮崎は第2のふるさとではないのですが、ふるさとと思っています。来た時に、自転車、コンポ、50ccのバイクなどを頂いて、何よりも、入院した時の人の心の温かさを感じます。私は二回入院していて、同じ部屋の女性にも支えられています。人との心のつながりが、宮崎で一番自慢できるところと思っています。ですから、一生宮崎に住みたいと思っています。
ご清聴ありがとうございました。
(人材開発での仕事について補足)
・新入社員へのオリエンテーションを行います。
・この施設の説明と会社概要の説明
・そして、実際に視察にも連れて行きます。(グランデ・オーシャンドーム)
・新入社員以外の従業員にも接客の基本を再確認しています。
・「笑顔とあいさつ」 基本は今でも出来ていますが、日常的に大切にすることを指導しています。
・他に、接客英語プラス英会話の語学のクラスを持っています。トレーニング全般のコーディネートをしています。
(林会長より)
少し時間がある様ですので、ロータリーの職業奉仕に関することですが、最近、お金史上主義ということが多く見られます。特にそういう風潮にしたのが、ライブドアの問題だったのかなと思います。
確かに、私も、若干、株をやっていますので、お金はという考えも少しは生ずる訳でございますが、考えて見ますとやはりお金がすべてではない訳でありまして、やはり、健康も必要ですし、人と人との交流も必要であります。
いくらお金を沢山持っていても誰も周囲に寄って来てくれなければ意味がない訳であります。そういう意味で、今の若者にある意味で刺激を与えたホリエモンではありますが、ある意味、また、勉強の機会を与えたのではないかと思います。この4月の15〜16日に我がクラブの船蔵会員の水光苑で、ライラを行いますが、これは、これからの若い人達が、企業を支えていく人達が、もっともっと自分の企業だけでなく、社会においてのリーダーになって欲しいということで研修会をする予定でございます。
日高幹事から研修生の募集を先程お願い致しましたが、20代の男性、女性を是非、ご推薦頂きまして、我がクラブのしっかりした研修会にしたいと思います。
是非、ご協力をお願いしたいと思います。
※2月10日 第2257回例会の週報の中で訂正があります
宇都仁惠会員卓話 P4 表2−・・・のところ 誤「約150の小学校でフッ素入りの水道が導入されている。」 正「約150の小学校でフッ素洗口が導入されている。」
(担当:山本勝美)
(写真撮影:渡辺久之)