第2256回例会/平成18年02月03日(金) サミットホールで
会長挨拶(林  務会長)
 今日は、地区大会の想い出も新しいここサミットホールでの例会となります。この会場変更に際してはSAAの前畑会員ならびに日高幹事にお世話になりました。御礼申し上げます。さて今回の会場変更は宮観の駐車場建設に伴うものでありますが、ただ皆さんが、サミットがいいという事であれば会場変更もありえます。ただそうなりますと宮観さんにお断りを入れる時間的制約もございます。早めにご意見を幹事までお寄せいただければと思います。本日は新しい仲間をお迎え致しました。宮崎太陽銀行の比江島さんです。後ほど入会式を執り行いたいと存じます。
 さて、本日は原田ガバナー補佐がお見えでございます。本年度、ガバナー輩出クラブとしてなにかとご支援ご指導賜りますことを厚く感謝申し上げますと共に、その御礼と言っては変ですが、来る2月19日、ここシーガイアで開催されます原田ガバナー補佐主催のIM(Intercity Meeting)には、ぜひ多くの会員がご参加下さいますよう強く強くお願い申し上げます。当日は我がクラブの田崎会員も登壇されます。どうぞ会員の皆様には、多数ご出席頂きますようにお願い申し上げまして、本日行事が立て込んでおりますので、これにて挨拶を終わらせて頂きます。有難うございました。


幹事報告(日高 久夫幹事)
1.2月19日(日)IM(Intercity Meeting)
  テーマ;「超我の奉仕/クラブの活性化」
  会 場;ワールドコンベンションセンターサミット4階『蘭玉』
2.3月までは、例会の会場はこの会場になります。


出席委員会(阿部 倫也会員)
本日の出席状況(前期の通り)


親睦委員会(吉田 信一郎副委員長)
◎2月の結婚祝;
阿南育男会員 押川幸男会員 塩月光夫会員 藤本廣年会員
◎2月の誕生祝;
植松孝一会員 岡崎 優会員 金丸宜裕会員 長崎秀峰会員


国際奉仕委員会(岩切 承自会員)
 こんにちは。国際奉仕賞(サミット賞)の候補者の推薦を2月末までにお願い致します。


雑誌委員会(田崎博俊会員)
 中山雑誌委員長が今日、ご欠席でございます。頼まれておりますので……。
私、入会以来始めて、レビューが間に合いませんでした。私は色々と優先順位を決めているのですが、今までは『ロータリーの友』のレビュー作りを優先順位の第一に上げていたのが、ちょっと気力が無くなりまして、優先順位を下げたら、間に合いませんでした。
・まず横組みのページの10ページ;我がクラブホープ、長崎君、真っ先に載っております。文章がうまいですね。びっくりしました。これだけの文字数で、これだけのことが書けるというのは、知りませんでした。本当に驚きました。的確にロータリーを捉えております。何て言ったって、若いですからね。今の内に早く会長をやって頂いて、最後はRIで活躍していただくように、皆様応援してやって下さい。
・同じく横組みの20ページ;これは読みませんけれども、従来からの会員にとってもこれはすばらしい勉強のページです。クラブ会長・ガバナー・RI会長の選ばれ方、エレクトとノミニーの呼び方の違い、その辺が簡潔にこの2ページを読めばすべて解ります。ここは是非ともお帰りになって、読んでいただきたいと思います。
最後になります。
・縦組みのページの17ページ;「ペット検診への過信は禁物」(……PET検査で異常のない場合でも、もう大丈夫と油断しないで、個々のがん検診はこまめにされることをお勧めします。)私もこの通りだったですね。
 後は興味のある所は、皆さん帰られてから読んでください。有難うございました。


新入会員の紹介(小林 貞雄会員)
私のほうから、新入会員の紹介をさせていただきます。昨年の暮れだったと思いますが、例会の始まる前に、パストガバナーの竹内先生、林会長達と話をしておりました。宮崎銀行さんは入会頂いているけれども、宮崎太陽銀行さんはもう長年会員になっておられないが、会員になって頂くといいなあという話が実はありました。そういう話の後すぐに、宮田頭取とある会合で一緒に食事をした時に、こういう話が西クラブにあるんですがなという話をしましたら、宮田頭取が「わかりました」とひと言でしたけれども、持って帰られてすぐに役員の皆様方と相談をされたんだろうと思います。一週間も経たないうちに、お申し入れに対しまして、透かさず、すぐに役員を入会させるという話がありました。そして今日ここに、常務取締役の比江島昌信さんの入会をして頂きました。
 比江島さんは、昭和23年生まれで、57歳になっておられます。昭和47年に大学を卒業されてすぐ、宮崎相互銀行、懐かしい言葉ですけれども、宮崎太陽銀行の前身の銀行に入行されて、平成2年に都農の支店長、青島の支店長、それから中央支店長をされた後、平成13年に取締役になられました。そして審査2部長、さらには本店の営業部長などを経験されて、平成17年に常務取締役になられ、今日に至られております。そういうことで、比江島さんをお迎えすることが出来ました。ご紹介を申し上げて、私の役を終わらせて頂きます。有難うございました。
新入会員挨拶(比江島 昌信新会員)
ただ今ご紹介頂きました比江島でございます。今回、小林様からご推薦を頂きまして入会をさせて頂きました。私はロータリークラブは初めてでございますので、皆さんにご協力を頂きましてしっかりやっていきますので、よろしくお願いします。


ゲスト卓話(原田實太郎宮崎県中部分区ガバナー補佐)
 みなさんこんにちは。宮崎県中部分区のガバナー補佐をしております宮崎北ロータリークラブの原田實太郎でございます。この一年間、菊地ガバナーを始めと致しましてガバナー事務所を構成されている皆さん、大変色々とお世話をお掛けしております。どうも有り難うございます。本年度が始まりまして7ヶ月が経過したわけでありますが、その間、ガバナー公式訪問、クラブ協議会、地区大会、GSEの受け入れなどに、各クラブとも本当にご協力を頂きまして、それぞれ成功裡に終了させて頂きました。本当にお礼を申し上げます。
 本年度に入りまして、ガバナー補佐としてのクラブの例会訪問は、当初、5回は年度内にお伺いすると申し上げていた訳ですが、今日が4回目でございます。特に半年を経過したのもですから、先ほど会長、幹事と半年のクラブ計画の遂行状況をお聞き致しまして、西クラブは、地区大会の負担もありながらクラブの各行事も順調に進められているということで、本当にすばらしいなと拝見しております。
 ところで、ガバナー方針のトップが会員増強プラスワンということで、2730地区は当初2555名でスタートし、年度末には2730名にしようということで、特に第1−4半期は各クラブとも非常にご努力を頂きまして、ガバナー公式訪問で中部分区の9クラブを回りましたが、9クラブのうち8クラブが公式訪問の席上で、新入会員の入会式をして頂きました。このように各クラブとも非常に燃えて頂きまして、すばらしいスタートを切って頂いた訳ですが、第2−四半期に入ってストンと勢いが止まりまして、12月末現在、ちょうど半年が終わった時点の状況は、本来ですと31名くらいの入会者がいると2730名を達成することが出来るわけですが、10、11、12月がなかなか伸び悩むどころか、逆に減りまして、現在のところ、13名の増にとどまっております。ということは、18名を中部分区内で増やさなければ、2730名に達しないという状況になっております。西クラブでは、当初のスタートが74名でスタートし、途中78名まで増えたわけですが、12月末現在74名まで減りまして、ちょうどスタートに逆戻りしたわけです。林会長のお話では、先月、1名入会し、今月また1名入会ということで、現在では2名増ということになっております。残り3名ですので、ガバナー出身の西クラブということもございますし、ひとつ是非達成して頂きたいということが、今日の第一番目のお願いでございます。
 2番目のお願いが2月19日(日)にここの4階で、IM(Intercity Meeting)が開催されます。いま中部分区、南部分区とも全員登録にはなっておりますが、実際の出席者をできるだけ多く出席して頂きたいということで、パンフレットを各テーブルにお回ししておりますが、再度出席者を募って頂きまして、できるだけ多数のご参加をお待ち致しております。また西クラブの田崎さんを発言者としてお願い致しておりますし、色々な勉強になると思いますので、是非よろしくお願いを申し上げます。先ほど会長にも申し上げたのですが、ロータリアンだけでなく、ご家族の皆様やローターアクトクラブの皆様にも呼びかけをして頂ければと思います。
 あと5ヶ月クラブプログラムがある訳ですが、菊地ガバナーの重点推進項目のもうひとつは、クラブの活性化でありまして、クラブが活性化すればクラブが魅力的になる、魅力的になれば会員も増える、出席も増えるということに繋がってきますので、是非クラブの活性化に取り組んでいただきたいというお願いを中部分区内の各クラブにお願いをしている訳です。クラブの活性化は、委員会の活発な活動、委員会を確実に開いて頂いて、集まって何かを話せば、そこからやることが出てくるということだと思いますので、ぜひ議題がなくても委員会を開催して頂きたい。もうひとつは、何と言っても、ロータリーに入る、ロータリー出席するということは、自分自身の勉強になる訳でして、ロータリーの哲学を勉強するということがロータリーの魅力作りに欠かせないということを、9クラブを回っておりまして、つくづくそういうことを感じます。勉強をしっかりしているクラブは、本当に活性化をしております。前にも申し上げましたけれども、高鍋ロータリークラブが、今度のIMでもクラブ活性化のための発言をして頂くようにお願いをしているわけですが、菊地ガバナーの提唱で夜間勉強会をロータリー夜間大学と名称を変え、いま毎月ロータリー夜間大学を開いております。このロータリー夜間大学は、夜開くものですから、普通は二次会、3次会と飲み会になりまして、何となくワイワイ、ガヤガヤの雑談で終わってしまう訳ですが、ここはロータリーの話題しか話題にしてはいけないという制限をつけました。そのことによって、参加人員が減るかなと思ったら逆にものすごく増えまして、二次会、3次会に行ってもロータリーの話になりまして、高齢者の方など、今まで出席されなかった方も、二次会、3次会、4次会までずっとついて来られるという風になりなまして、大盛況を呈しているんですね。いかにロータリーの勉強会が大切なものかということが、いかに皆さんが勉強を望んでおられるかということが、この事例でもわかるのではないかなと思います。@LF 昨今、ライブドアの事件であるとか、建築の詐称問題、あるいは防衛庁の官主導の談合とか色々な事件がありますが……。ロータリーが始まった1905年と同じように、専門職業の道徳的水準も落ちるとこまで落ちているのではないかなあという感じも致します。そういう所から考えますと、今こそ本当にそれぞれの専門職業の道徳的水準を高めるというロータリーの本来の使命をロータリアンが果たして行くべき絶好の時ではないかなという風に思っている訳です。そういったことも含めまして、ロータリーの勉強をするということは、ロータリーの宝探し、ロータリーの魅力探しだという風に私は思います。そういった意味で、ロータリーの宝探し、ロータリーの魅力探しをみんなでしていただく事がロータリーの活性化に必ず繋がるものと私は考えて、各クラブにお願いしている次第です。頂きました時間が過ぎましたので、これで終わらせて頂きますけれども、後半もあと5ヶ月ありますが、是非皆様のご協力を頂きますようお願い申し上げまして、またIMの出席をお願い申し上げまして、私のスピーチにさせて頂きます。


新入会員卓話(塩月 光夫会員)
 こんにちは。塩月でございます。1月の6日に菊地ガバナーからバッジを付けて頂いて、早いもので1ヶ月が過ぎようとしております。今日は話をということで、本当であれば仕事のガスの話をしたいところですが、新入会員は仕事の話はするなということで、自分の紹介だけせいと言う事ですので、しかし、私の紹介をしたって面白くも何ともありませんが、ちょうど時間が10分ですので、メモをして来ましたので、その通り読みます。
 私も人の子でありますので、この世に生を受けるには、父母、祖父母がいたわけで、そっちの話のほうが本当は面白いわけですが……。
 私は名前は塩月ですが、祖父が都濃の塩月家に養子に行ったから塩月ですが、元々は西都市三財の永野家の出身で、本当は永野光夫でございます。生まれは昭和19年3月20日であります。これでも外国生まれで、北京で生まれました。昭和21年の3月に帰って来ました。そういう意味では戦中派であります。あと1年くらいおれば中国語も上手になれたかもしれませんが、残念ながら全くわかりません。でもあと1年おったら、残留孤児になったかもしれません。
 昭和23年に父が結核で亡くなりました。母は私を、宮崎に引き揚げて来ていた祖父に預けて、東京で再婚を致しました。それ以来、母とは会っておりません。それから、小学校は宮崎大学附属小学校に入りました。附属小学校はその当時は、宮崎公立大学の東門の辺りにありました。壁に機銃掃射の跡があった時代でした。3年生の頃に今の場所に移ったと思います。箸の棒のくじ引きがありまして、箸の裏のほうに、青い印が付いていたら、入学許可ということで試験も何もありません。たまたま色が付いておったということだけです。附属小学校に入ったらそのまま附属中学校にずっと入れるという仕組みでした。勉強の何もしなくて、附属小学校、附属中学校に行きました。そうこうしている内に、昭和29年に祖父が亡くなったもので、結局私は10歳からは私は祖母と二人暮らしでありました。生活も色々と困りましたから、たまたま家が大宮高校の前でしたから、それからずっと22歳まで祖母は大宮高校生相手の下宿屋のおばちゃんでありました。お金が無かったものですから、中学校を出る時に、その頃少年自衛官は学費が要らなくて高校の勉強もさせてくれるということで、少年自衛官を受けました。それで通ったんですが、二次試験が都城であるということで、都城に行く汽車賃が無くて、その内に祖母に受けたのがばれまして、「目の前に大宮高校があるのに何で都城まで行かんならんか」と言われました。いまだったら受験勉強でもしないと大変ですが、その当時の話ですから、勉強せんでも大宮高校には入れたわけです。だいたい目の前ですから……。お蔭様で大宮高校に入れました。3年間悪い事ばっかりしておりました。1年先輩には緑魔子さんという女優さんがおりました。当時、児島良子さんという名前で、英語もペラペラで、尊敬すべき先輩ですが、今でも会いたいなあと思うんですが、向こうは覚えてません。昭和35年に運動会騒動がありまして、英語の先生を運動会の終わりに弦月湖に投げ込みまして、私は2年生でしたので、3年生が停学処分で私は停学を免れたということがございました。今度はいよいよ大学ですが、大学に行こうにもお金がありません。今度お金が要らない大学といったら、防衛大学であります。受けて通って、それで2次試験に行ったんですが、残念ながら寸足らずでありました。157センチ以上ないと駄目ということでした。僕は157センチと書いたつもりですが、計ったら155センチだということで、寸足らずで駄目……。
 今はパイロットやらは、低いほうがいいんじゃないかと思うんですが、駄目でした。それでどうしようかと思ったけど、これもご存知のように昭和37年頃は何も勉強せんでよかった時代ですから、宮大にたまたま通ったということです。でもありがたいもので、お金は全然無かったんですが、特別奨学金をひと月に4千円頂きまして、学費も自分で工面して、大学を出ることが出来ました。そして、昭和41年に宮崎ガス株式会社に入社致します。最初に配属されれたところが、濱砂現会長の所です。その頃からやっぱり風格があったのだと思いますが、新入社員の私が濱砂課長の横の小さい机に坐っておりましたら、お客さんが来られまして、私の所に来て深々と頭を下げ、「課長さんでいらっしゃいますか」と……。いま濱砂会長が聞いておられたら、「その通り」とおっしゃると思います。そんなにふけてはいなかったと思うんですが、まあ頭のほうもそうだったかも知れません。
 後は何の面白いことも無くて、まじめ一筋でございます。お見合いは、32〜3回しました。年齢が30歳になって、結婚はあきらめまして、もう嫁さんは来んから、少しは遊びを覚えようと思ってマージャンを覚えたのが30歳の時でした。それから小遣いをだいぶむしり取られました。親切な先輩がおられまして、教えてやる教えてやると言って……。マージャンて、お金が要るものだと思いましたけれども。そのうち、ひょんな事から結婚することになりました。相手も30近かったものですから、お互いあきらめておったということで……。昭和53年2月11日、建国記念日にめでたく結婚致しました。そして、同年に長男が生まれ、昭和57年に長女が生まれました。長男は県立五ヶ瀬高等学校の第一回目の卒業生です。第一生でいいなと思っていたら大学では2年遊んで、お蔭様で今年の3月に結婚することが決まっております。長女はシーガイアのオーシャンドームでお世話になっております。正社員ではありません。ライフガードという仕事をやっております。スキューバダイビングばっかりやっております。親の脛をかじっております。
 趣味は何にもありません。ゴルフはしますけれども点数が付けられません。囲碁、将棋何でもやりますけれども、これも段とか級とか付けられる段階ではありません。ただ知っておるというだけの事です。タバコは5年前にやめて、お酒は晩酌はしませんが、皆さんのお付き合いだったら、何時まででも充分やらせていただきます。そういうことで、もう時間が来ました。今後ともひとつよろしくお願い致します。有難うございました。
(担当:児玉寛太郎)
(写真撮影:渡辺久之)