第2248回例会/平成17年11月25日(金)
会長挨拶(林  務会長)

 月日の経つのは早いもので、今日は11月最後の例会となりました。師走の来月は第4週が天皇誕生日という事で、例会が3回しかありませんから100%の出席をお願い致します。ことに最終例会は16日ですから、欠席されますと3週間のご無沙汰になります。この日は年末家族晩餐会が予定されておりますのでご家族お揃いでご出席頂くようお願い申し上げます。
 さて今日11月25日は、私にとりまして思いで深い日であります。1つは私が大学を卒業した昭和45年の今日、三島由紀夫が自決した日であります。70年安保の中、社会に踏み出したばかりの私にとりましては非常に衝撃を受けたのを今でも思い出します。
 そしてもう1つは、8年前、1997年の今日、シンガポールのホテルのテレビで山一証券の破綻を知った日であります。この日、私は竹内先生、日高照雄PPCと共にバングラディシュからのフライトが夜間だったため早朝シンガポールに到着。日本に向けてのフライトがやはり夜間の出発でしたのでシンガポールのホテルに昼間ステイを致しました。私は部屋に入ってTVをつけ、チャンネルをNHKの衛星に合わせたところ、飛び込んで来たのが山一証券破綻のニュースでした。この出来事も強烈に覚えております。最近の株高を見るにつけ、月日の流れの早さを感じる次第であります。
 さて先週は、菊地ガバナーにご訪問いただき、貴重なアドバイスを戴きました。中でもクラブの活性化には委員会の活性化が重要であるという点をご指摘いただきました。確かに自分がどの委員会に配属になっているか? 御存じない会員も見受けられます。これまでは地区大会に追われ活動が出来なかったとは存じますが、どうか各委員長さんは早急に委員会を開催され残り7ヵ月の活動方針を確認しあっていただきたいと存じます。


幹事報告(日高 久夫幹事)
 12月より国際ロータリーの為替レートが1ドル118円に変更となります。いつものロータリー財団年次寄付、1人100ドル達成のためということで募金箱を回します。ボールペンやバッヂが壊れたり紛失したりで必要な方は、事務局の方に置いてありますのでよろしくお願いします。


出席委員会(阿部 倫也委員)
 本日の出席状況(前記の通り)


親睦委員会(金丸 宣裕委員)
・植松孝一会員 本日、日向市にありますイオン九州系列のショッピングセンター「ロックタウン日向」にセルフ型サービス・ステーションをオープン致しました。三菱商事との契約によりスリーダイヤモンドのマークをあげてます。日向にお越しの折には、是非お立ち寄り下さい。安いです。
・ 年末家族会のご案内でございます。12月16日、例会が18時から、懇親会18時15分から、場所はクチナ・ドリーバです。是非ご家族づれで、家族の方をたくさんつれてきていただきますようお願い申し上げます。


地区大会実行委員会(山口 賢一郎委員)
 実行委員会の山口でございます。何の実行委員会だったか、だんだん記憶が薄れていますけれども、私どもの地区大会実行委員会の方で7月から5カ月間に渡りまして事務局に勤めていただきました和合栄子さんが今月末、あと3日ほどでお別れということになりますので、きょうは例会に来ていただきました。この5カ月間いつもにこやかに一生懸命務めていただきまして、とかく刺々しくなりがちだったこの実行委員会の雰囲気をいつも爽やかな笑顔で包んでくれまして、本当に癒されたものでございます。初めは腫れ物に触るような扱いで、「和合さん」「栄子ちゃん」とか呼んでおりましたが、大会が近づきますと「おーい」とか「こら」とか「おまえ」とかになって、あんなこと言われながらよく務めてくれるなーと、横で見ていたんですが、本人に聞いたら一番うるさかったのは私だったということでございます。しかし、そのお蔭でボーイッシュだった和合さんもこんなに大人の女性になりまして、あしたはひとつ例会に来て挨拶をしてくださいと言いましたら、目にいっぱい涙をためて「山口さんお別れですか」、「別れなきゃまた会えないじゃないか」―そういう会話はなかったですけれど、ほんとうに別れるのは残念で寂しくなりますけれども、頑張ってくれて有難く思っております。心から感謝しております。
和合栄子さん
 約5カ月間、最初はちゃんと自分の役目が務まるかとても不安でしたが、実行委員会の皆さんをはじめ、いろんな委員会の方と力を合わせて地区大会を成功させることができ、とてもいい経験をさせて頂きました。ほんとうに有難うございました。


新入会員卓話(松崎 克郎会員)
 こんにちは、松崎でございます。ダンロップ・フェニックストーナメントも皆様のお蔭で無事終了することができました。タイガーウッズが「来年も来るよ」みたいなことを言っていますが、実際実現するかどうかはわかりません。皆様ご存知のようにかなり高額のお金が掛かります。つきましては、前売り券が売れてませんと、なかなか収支が合いませんので、是非とも来年は皆さんに前売り券のご協力をお願いできればなと考えながら出てきました。
 8月5日に新入会員として入らせていただいて、それからすぐ地区大会の中に流れ込みまして、非常に早く皆さんとお知り合いになれたんですけれども、その中で皆さんの行動を見ながら、それぞれの担当ごとに一生懸命自分の仕事でないことをやっていらっしゃるのを見ながら、私は本職ですから全く抵抗はないんですが、全く関係のない業務を夜遅くまでやられるのをびっくりしながら見ておりました。大会当日になりましても皆様の動きが非常にいいのに感心しながら、私の館であります会社の方でやっていただいているのに、何もしない私が恥ずかしいような気がしたんですけれども、林会長がどんと構えて、志多実行委員長が皆さんのお尻を叩きながら一生懸命やられていたのを今でも覚えております。
 その中で、ちょっとハプニングが起こりまして、鈴木ひとみさんの講演会です。最初500席ほど用意したんですが、どうも館内にそれだけの数が居ないんじゃないかという話が出てまいりまして、途中で若干椅子を撤去させていただきました。ところが、始まってみますと、ちょうど程良く会場が埋まってきたんです。ふっと気が付くと8割から9割方埋まっています。その時私は、1階下の部屋で200人ぐらいが会議をしていることに気付きました。それから慌てて皆さんの力によりましてロビーにある椅子をひたすら放り込むということがありました。それを運び込みまして会場の中に入りましたら、菊地ガバナーが気持ちよさそうにお話しをされているわけです。なんでこんな気持ちよさそうにお話しをされているのかなと思って会場の前に行って後ろを振り向いて見ましたら、可動席の一番上までびっしり埋まっているわけです。600名は入ってたんでなかろうかと思います。
 その中で講演された鈴木ひとみさんも非常にいいなと思いながら聴きましたけれども、緊急の時に皆さんが一気に動いていただいたバイタリティー。感心しながら見せていただきました。また、その最中に隣の会場では岡さんと上園さんがただ黙々とオブジェと、上園さんは一生懸命スピーカーのセッティング。パーティーの準備のために前の日から入って黙々と作業を続けておられたのを見ながら、それぞれの持ち場で皆さん頑張っておられるなと感じておりました。
 地区大会の話はそれぐらいにしまして、私の話をさせていただきたいと思います。私は48年にサンホテルフェニックスがオープンと同時に入社いたしまして、フロント勤務をやっておりました。フロント業務はハプニングがよく起こります。一番先に起こりましたのは、新婚さんが来まして48年当時ですから、48年、49年、「新婚さん」の最後のころです。毎日毎日新婚さんで満館状態。宮観さんから毎日30組位の新婚さんがサンホテルの方に送り込まれてくるような状況でした。その中で最初にあったハプニングは、新婚さんがチェックインしまして「宮崎駅のトイレに指輪を忘れてきた」とおっしゃるんです。「タクシーの運転手さんに取りにいってくれるよう頼んでくれ」と言うんで、もしないと困るなと思いご夫婦に一緒に行っていただいたんです。さすが宮崎ですね。2、3時間経っててもトイレの棚の上に指輪があったそうです。その時なければどうなったか分かりませんが、ご主人と行って喜んで帰ってきていただいたその新婚さんの顔が、最初の嬉しかったことです。
 他にも多々ありますが、2番目にありましたのは、皆さんもやられたことがあるかどうか分かりませんけれども、2組のアベックが来られたんですね。どう見ても不釣合いなアベックでございました。フロントにいますと交換経由で電話が掛かってきます。「何処のだれそれが泊まっているはずだ」とおっしゃるんで、どうも嫌な雰囲気がするなと思って「男性4人でゴルフに来られてます」と話しまして、30分程すると、その張本人が帰って来られました。お話しすべきかどうか悩みながら、こそっとお声を掛けまして「多分奥様だと思うんですけどお電話ありましたよ」と言った瞬間、顔が引きつられましたが、その時は一応男性4人でしたということで、上手くいったんです。
 ただ、すべてがうまくいくものではありません。サンホテルフェニックスから移動してシーサイドのフロントに行きまして、今度もまたそういうことが起こったんです。「うちのダンナがお宅に泊まっているはずだ」「はい、お泊りですよ」―バカですね私も。「男2人ですよ」と言ったんですけれども、奥さんは全く信用されずに、確か名古屋のお客さんでした。2時間後に私の目の前に奥さんが立っていらっしゃったんですね。私はその日ちょうど宿直でしたので、ダンナが彼女と出て行ったのを知っていたんです。まだ帰って来ません。暇な日でした。きょうは早く寝ようかなと思っていたのに、12時前に2人が手に手を取って帰って来ましたところ、待っていた奥様がロビーからおもむろに出てこられまして・・・。あとはもう修羅場ですけれども、最終的にロビーの奥にご案内しまして、私はフロントでボーッと朝までお帰りになるのを待っていたことがございます。
 26歳で大阪の出先に転勤しまして営業をやっていました。大阪で7年半、エージェント関係をセールスするのが中心なんですけれども、どういう訳か大阪に行きますと北区、神戸、京都、このあたりが一番お客さんが多いんです。私にあてがわれたのは天王寺区、阿倍野、和歌山、堺、一番お客が少ない所なんです。営業にいくら行っても客がないもんですから、毎日怒られながらやっておりましたが、そのうち先輩がどんどん居なくなりまして、気が付くと私が最古参になっていましたので、ちょっと自分でいい所を取ろうなんて考えまして、テリトリーを変えたんです。何とその日に電話が鳴りまして「おい松崎、お前は帰って来い」と。これでやっと日の目を見るかなと思った途端の異動命令。
 33歳の時に宮崎に帰って参りまして、今とほとんど同じような業務をしておりました。大会専門で、先の地区大会みたいな業務をひたすらしておりました。私が帰ってきたころはまだ、客室に3名、4名入れても大会関係で怒る人はいませんでした。それがいつの間にか1部屋に2人入るなんて言語道断という時代になりまして、ものすごく売り上げ的には落ちていく世界でございます。我々としては1部屋に2人ずつ入っていただくことが一番の望みでありますので、もしあちこち行かれたときには、ここのホテルを儲けさせてやろうと、1部屋に2人ずつ入っていただければ助かるなと思っております。
 そのころ一番困ったことというのは、地元に帰ってきまして大会をやると非常に単価が安いんです。そのころ1泊2食が8千円か9千円、頑張っても1万円。ところが大阪あたりはバブルのはしりだったんでしょうか、1万8千円、2万円というのが非常に多くなっておりました。よく後輩に電話して、安売りは俺がするから、お前はちょっと高く売れなどという話をしていたんですけれども、そういう形でどんどんバブルが膨らんでいき、皆さんもご存知のようにリゾート構想が走り出しまして、サミットが出来上がり、オーシャンドームが出来上がりしていったんです。そのころには、まだオーシャンドームとラグゼしか出来てなかったんです。@LF オーシャンドーム効果というのはすごいものがございました。サンホテルとシーサイド、ここがすぐパンクします。パンクしたらラグゼの方にお客様を案内するなどしながら、この調子で行ったらどうなるかと思いつつ楽しみな生活を送っていたのですが、皆さんよくご存知のように金利の方がどんどん膨らむ構図になっていて、どうしようもない状況でした。ただ、そうした中でもドームができて数年は、特に台湾関係のインバウンド、2月は旧正月でオーシャンドームの中にインバウンドの人がいっぱいいるわけです。ボードウォークがありますが、そこに千人から2千人の人が座っており、下に下りていくと一言も言葉が分からないんです。顔は我々と一緒なんですが、一切言葉が分からない。そういう中で一番先に起こったのは、ウォータースクリーンに映像が映っていたのを覚えていらっしゃると思いますが、シルフィーという綺麗な女性がぱっと出てくると、一番下の観客席からフラッシュがダァーっと焚かれていくわけです。ものすごくそういう面ではオーシャンドームのエンターテイメント、ウォータースクリーンを使ったアトラクションというのは非常に我々の心を捉えたものです。ただし、5年ほどしてリニューアルしたウォータースクリーンの中身がちょっと我々のイメージとは違いまして、最初流した日にお子様が泣き出しまして、あまりにもリアル過ぎたのか硬過ぎたのか、ショウものも気を付けないと逆にマイナス要因が強いのかなと感じました。
 そうしながら、いっぱいお客様が来る中、ワールドコンベンションセンター・サミットとフォーティファイブがオープンしたんですけれども、そこで一番困ったのは、フェニックス国際観光側からリゾート側にそんなに社員が行ってなかったんです。各セクションに1人か2人、サミットホールも2人位いたんでしょうか。ほとんど機能が追い付かない状態でございまた。私はちょうどその時大会をやったんですけれども、私はまだサンホテルの方におりまして、そちらで青年部の大会を行い非常に喜んでいただいて前日は終わったんです。翌日サミットホールで本大会があり、そこに行きましたら、何と知事が喋っている時に電源が落ちまして、もう真っ青になってもどうしようもないんですね。真っ暗ですから。30秒から1分ぐらいでしょうか、そこは何とか笑って済んだんですけれども、その日の夜のパーティーは、どう見てもうまくいくようなスピードでは準備が進んでいないわけです。これで大丈夫かなと思って誰かに声を掛けようかと思っても、如何せん回りは新米さんだらけですから、どう考えても質問もできない、言っても対応ができないという中で何とかパーティーが始まったんです。
 私はサンホテルの事務所に帰ってまして、ちょっと気になったので会場に行きますと、1ヵ所に人だかりがしているわけです。これは余程美味しい物が置いてあるんだろうと覗いてみたらドリンクカウンターでした。あまりにもドリンクの段取りが悪いものですから、お客様が人だかりになってドリンクを求めているわけです。そこに私も入って水割りやら焼酎をつくっていたんですけれども、顔を上げましたらお客様が「酒!」とおっしゃるので、横にいたスタッフに「酒持ってきて」と言ったんですが、いっこうに帰ってこないんです。やっと帰ってきて「酒を持ってきました」と手渡されたのはウィスキーのボトルでした。そんなことやってたら料理は間に合わないお客さんは怒り出すということで・・・。これはもう済んだことですから、そんなホテルかと思わないでください。昔々のオープン当時の話でございますので!そういう形の中でパーティーが1回終わったことがございます。@LF どうしても新しいホテルというのは、人海戦術で人を多く採ります。オーシャンドームで入社式しましたが、多分千人近い社員を採ったんじゃないんでしょうか。その中で、ほとんどそういう人間がサミットホール、フォーティファイブのフロントに張り付いておりましたので、思うようにいかないのは当たり前なんですが・・・。いろんなハプニングが起こる中で怒れない理由がひとつあるのは、やはり新入社員というかまだ勉強の足りない人間がいっぱいいたということです。今はもうそういうことは一切ありません、10年ちょっと経ちまして全員慣れてきましたから。
 今、我々の苦しみというのは、皆さんもご存知のように2001年7月29日ですか、ちょうど私は東京にいまして、近畿日本ツーリストのセールスマンの朝のミーティングに顔を出していました。そのとき私はたまたま携帯電話を机の上に忘れておりまして、その会議の席上、横の人間がふっと立ったんです。どこにいったのかなと思っていたら、くしゃくしゃにしたメモ用紙を私に渡したんです。そこに書いてあったのは「倒産」という2文字でした。先ほどの会長の話ではないですけれども、すごく重たいことになりました。一番ショックを受けたのは、地下鉄のキヨスクに新聞が置いてありますが、そこに黄色い文字で倒産と書いてあり、その横にわが社の名前が書いてあって、その文字だけが鮮明に浮かぶわけなんです。その後に我々が何をしないといけないかというと、その当時は第3セクターでしたので、JTB、日本旅行、近畿日本ツーリスト、全日空の各旅行会社から来て頂いていたんですが、その方々にすぐそれぞれの本社に走ってもらい、いろんな形で「フェニックスリゾート株式会社シーガイヤはまだやっていくんですよ、お願いしますね」という手を打ちながら頑張ってきました。ただ、如何せんそういう状況ですので、すぐ数字に表れます。特に現れたのがブライダルの数です。やはり縁起物ですので皆さん退かれます。ですから一時期は売り上げがガタ減りしたのも事実です。@LF それからスターウッドが運営会社として入ってきました。ハワイのスターウッドのホテルにいたマイク近藤という日本人が来ましてブライダルにものすごく力を入れたんです。いろんなブライダルフェアをやりながら、中身も変えながらやっていきまして、雑誌にも結構出ました。やればやるほどブライダルの数は増えました。ただ、これだけ結婚する人が少なくなってくると、そろそろ頭打ちかなとも感じている一方で、結婚式専門の会場も増えてきているので大変な部分はあります。@LF 今、我々はいろんな企画商品に力を入れていますが、単価が上がってこない。いろんな形の中で売り上げが上がらないというのが非常にきつかったんですけれども、やっとここにきて前年対比も伸びてくるようになりました。ただ、皆様も目標があると思いますが、我々の目標はあまりにも高くてなかなか届きません。毎日走り回っているんですけれども届かない状況です。ただ、少しずつではありますが、間違いなく良くなってきていることも事実です。
 今大会で我々をご利用いただき、売り上げを上げさせていただいたことを本当に感謝しております。最後に「入りて学べ、出でて奉仕せよ」というのは、大会の時に自分で会員になって、自分で肌身で感じて、最後に一生懸命その中で頑張りなさいということかなということを、きのうパソコンを打ちながら感じておりました。


新入会員卓話(船蔵 尚子会員)
 皆さま こんにちは。
 野や山が、赤や黄と紅色に姿を変えて参りました。晩秋から初冬へと、季節の移り変わりを楽しんでおります。青島水光苑ホテル、船蔵尚子でございます。
 今年8月5日、素晴らしいロータリークラブへ入会させて頂いた感動を今でも鮮明に覚えております。入会早々、おっちょこちょいの私は右腕を骨折致しました。大江先生の適切な処置を頂き、大事至らずこのようにとっても元気になりました。
 又、クラブの皆さまより、心温まるお見舞いを頂戴致しましたこと、この場をお借り致しまして御礼を申し上げます。有り難うございました。
 本日は、貴重なお時間を頂戴いたしまして本当に有り難うございます。この私がお話しできますことは、これまで、無我夢中で歩んで参りました商いの事しかございません。私の命と申し上げても過言ではない旅館業、接客業とでも申しましょうか・・・。
 その事を少〜しお話しさせて頂きます。
 体を動かし、他人様とお会いすることが大好きだった私は、昭和37年、広島通りに35坪という、なんと小さな小さな旅館「白菊荘」を開業致しました。たった5部屋でございましたが、その当時、大変珍しいバストイレ付きを3部屋つくりました。
 新婚ブームという大波に乗り、鶏の鳴き声よりも早く起き朝食の支度、玄関の掃除に始まり夜遅くまでの宴会を一人五役と、目まぐるしい、それはもう目まぐるしい商いを続けました。
 転機は開業一年もせず来たのです。
 あまりにも狭すぎた為、これはもう移転するしかないと思いましたネ。思いたったが百年目、即、行動が私の良いところです。「百聞は一見にしかず」大急ぎで土地を求め歩きました。忘れもしません、東京オリンピックの聖火ランナーがその2000坪の土地の前を通ったその日、手付けをうったのです。それが、今の青島水光苑ホテルでございます。
 その当時、考えましたことは、新婚さんやご家族連れの方々にゆったりとして頂きたい、心も体もしんから温まって頂きたい、その一心であの当時、コテージのような、別荘のようなたたずまいが大変な話題をうんだものでした。離れ形式で17棟(部屋)。ほっかりする庭付き、波紋の広がりがとっても美しい池つき。話題が話題を呼び、高田浩吉・美和さん親子、大川橋蔵さん、橋 幸男さん、八代亜紀さんなど、有名俳優さんやその家族と、とても賑わったものでした。
 昭和48年、オイルショックが来るとは思いもつかず、「お客様にもっと喜んで頂きたい」「宮崎の青島のことをもっともっと広めたい」その一念で、現在のホテルを建て今に至っております。
 戦後から現在までの60年を振り返ってみますと、
 1 社会の変化が人のライフスタイルを変え
 2 触れ合い家族から核家族へ
 3 そして手作りからオートメーション化
 4 今は、ご存知の様に少子高齢化又、アナログからデジタル地上波と文明の力にはついていけない位でございます。
 何と申しましても、日本旅館の息吹が失われてきたと私は感じております。プライバシーが守れて、しかもお安く泊まれる小さなお部屋でもいい……という要望がビジネスホテルをつくり上げてきたのです。
 ビジネスホテルの良さは充分存知上げています。比較することは論外でございますが、旅館ならではの触れ合いは、何よりも勝るものではないかと思っています。建てた物は、年々古くなりますが、お客様をおもてなしする心は、いつも新鮮で更に磨かれたものでなくてはならないと、いつも戒めております。
 私が、今だこの商いを続けております理由と思いのひとつに、宮崎の自然豊かな地に、お一人でも多くの方にお越し頂き、地産地消の旬の食材をご提供し、浮世の疲れを癒して頂きたいと願うばかりです。
 今の頃ですと、私がネーミングしました「伊勢海老マンボ」のとれとれぷりぷりの触感は、活き作り、天ぷら、グラタン等お膳を頂く瞬間は、もうお殿様、お姫様気分で海の物、山の物と創意工夫の日々でございます。
 スポーツマンの宿としてマラソンランナー、今年のオリンピック金メダリスト野口みずき・浅利純子さんを始め、学生さんから、実業団や多くの方々に長い間ご利用頂いており、大変有り難く思っております。又、昭和50年から今も尚、巨人軍キャンプの宿としてご利用頂いております。
 若い時の長嶋選手が監督となられ、そして終身名誉監督へと、又、王監督・原監督・堀内監督、挙げればきりがありません。私はとっても幸せものでございます。その方の歴史も一緒に歩んで参りましたし、日本中で選び抜かれた、ルーキーちゃん達をお世話し、一軍へ送り出す時などは、女冥利につき、何か息子のような気がしております。@LF 県の運動公園も何もない辺り一面、田んぼや畑の寂しい土地から始まった水光苑ホテルでございましたが、次から次へと整備され、武道館・サンマリーンスタジアム・木花ドーム等、散歩・ジョギングにも素晴らしいロケーションに恵まれております。
 何も無い所から始まった訳ですが、自分がどこまでやれるか試したい自分を認めてもらいたいという強い思いとは裏腹に、私の信条がここまで推し進めてくれたのだと思っております。
 1 自分のことよりも 人様に喜んでいただきたい
 2 してあげた事で 見返りを求めない
 3 どんな小さな事でも喜ぶ心をもって
 4 受けた ご恩は 一生忘れないように 春夏秋冬 巡り来る度に あの時の  あの人の ご恩に感謝しております。
 「言うは易し 行うは難し」と申しますが、実行する為にも心身共に健やかでなくてはならないと心の底から痛感しております。
 私の健康の秘訣は、キザかもしれませんし、口はばったいかもしれませんが、仕事が健康の元のような気がしております。
 キレの良い仕事をする為に、食生活にもかなり気を配っております。
 例えば、玄米黒酢を一日二回生野菜にかけたり、飲んだり。魚のタンパク質、卵・牛乳は欠かさず頂きます。卵は黄身を1コ分白身は3コ分です。ちなみにこれは清原さんのまねですが、清原さんは黄身1コに白身5コ分食べられます。ストレスをためるなと言われても、たまりますので、解消をする為の気分転換の為に、ゴルフ・シャンソン・お友達との語らいをし乍ら、お肌の為にも睡眠不足を避けるよう本当に心がけております。
 お陰様で、公私共に、充実した日々を送らせて頂いておりますが、まだまだ満足とまでは、ほど遠ございます。
 宮崎に産まれ、宮崎に育ち、宮崎で商いをさせて頂いておりますが、宮崎へどれ程の恩返しができたかと自問自答してみますと、自己満足すら出来るものではありません。
 今の商いを最高の所に持っていくことが満足への大きな課題でもありますし、目標・夢でもございます。
 いつも笑顔を持ち、元気で長生きすることが最大のテーマだと肝に銘じたところでございます。
 又、今後はロータリークラブの精神に基づき、生命ある限り、誠心誠意務めさせて頂く所存でございます。宜敷お願い申し上げ、スピーチを終わらせて頂きます。ご清聴、有り難うございました。
(担当:渡辺久之) (写真撮影:山本勝美)