第2244回例会/平成17年10月28日(金)
会長挨拶(林 務会長)
今年度も嬉しい報告が出来るかと思いますが、2004年〜2005年小田原年度、ロータリー財団の寄付額が2730地区の上位3位に入ったと言うことでバナーが届いています。昨年度の財団委員長のマイケル会員が奮闘なさったのか100万ドルの食事が多かったのかは別として、今年も西田委員長に頑張っていただきたいと思います。早速本日も100万ドルのボックスをお回ししますので宜しくお願いします。
朝晩、本当に寒くなりました。風邪には十分ご注意下さい。
私事で恐縮ですが、亡くなった妻が最後の入院をした今年の5月、私が病院を訪れたら、ポツリと「ごめんね」と言いました。当時、私は毎週末、上京して妻を見舞っていたものですから、その事に対する詫びと思い、その時は「たいした事ないよ」と返事をしたのです。しかし今にして思えば、あの時の「ごめんね」は、私を一人にさせている詫びだったのではないかと思えるのです。
大島 清という人の「脳が快楽するとき」という本の中に、男がいかに弱い生き物であるかという事が書かれています。一般には体力も優れ外で慟く男の方が強いように言われますか、それは食わしていかなければならない妻という女が一緒にいるからであり、独りになった男は本当に弱いもんだとつくづく思います。
妻が亡くなって3ケ月半が経ちましたが、未だに独り者の生活が巧くこなせません。掃除もやっかいであります。洗濯は干し方が面倒です。朝飯は喫茶店のモーニングで済ませ、夜は近くの居酒屋で晩酌を兼ねた食事をします。これが毎日ですから当然飽いて来ます。昼飯も外食が殆どでありますが、毎日のことゆえ「今日は何を食べようか」と悩みます。
私のように妻が死んでしまったら話は別ですか、どうか皆さんは、奥様を大切にしていただいて、くれぐれも熟年離婚などされないようにして下さい。とにかく独りになった男は弱いですよ
幹事報告(日高 久夫幹事)
1.10月19日〜26日、初めてヨーロッパはフランスを廻って来ました。覚えた言葉はボンジュールと下ぶくれ(シルヴプレ)です。ブルゴーニュ地方のコートドールに行きました。コート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌの二つの丘からなり、『黄金の丘』の名の通り収穫を終え黄金色に色付いたブドウ畑が地平線まで続きとても素敵なところでした。後ほどハッピーを出させていただきます。
2.歴代会長会議を本日18:30よりホテルマリックスにて行います。
3.中山雑誌委員長からのご案内で、先の地区大会において講演をされた鈴木ひとみさんの講演内容が40分に編集され、11月13日20時よりFM宮崎にて、彼女のリクエスト曲も挟みながら放送されます。是非お聴き逃がしなく。
出席委員会(阿部 倫也委員)
本日の出席状況報告(前記の通り)
親睦委員会(金丸 宣裕委員)
明日から宮崎神宮大祭です。いよいよ秋深いこの季節になってまいりました。
《ハッピーボックスの紹介》
・日高久夫会員 フランス国『黄金の丘』ロマネコンティーのブドウ畑を見てきました。36種類のワインを飲みました。とてもハッピーな気持ちになりました
・ガバナー事務局(日高 均会員) ガバナー支援委員会の皆様へお願いです。11月8日〜10日、奄美分区の公式訪問がございましてマイケル会員の随行が決まっておりますが、三日間の長丁場に付き、あとお二方随行をお願いしたいと思います。奄美の黒糖酒も待っております。時間がなくて恐縮ですが本日までにお申し出下さい。
プログラム委員会(増田 秀文委員)
ゲスト卓話にあたり講師のご紹介を致します。岩村 進先生は昭和2年8月4日のお生まれで78歳の今もボランティア活動で頑張っていらっしゃいまして元気ハツラツ・と言った感じでございます。宮崎大学(宮崎師範学校)を23年に卒業なさいまして教職に就かれ、40年間、県下の小中学校で教鞭を執られておりました。昭和62年高鍋東小学校を最後に退職なさった後、高鍋の町立図書館長などを務めになる傍らボランティア活動に盛んに身を投じながら、現在は高鍋湿原ボランティア代表として高鍋湿原の維持保全に活躍をなさっておられます。スライドを使って高鍋湿原の様子をご紹介いただきますので是非感動を味わっていただきたいと思います。
ゲスト卓話(岩村 進氏)「自然と共に」
みなさんこんにちは
ご馳走さまでした・大変美味しい料理をいただきまして、先ほど林会長さんが仰っておられましたが、妻が作ってくれたものよりおいしゅうございました。
さて、私昭和23年に宮崎師範学校を卒業後、北浦町、延岡、日向、川南、高鍋、新富、宮崎、日南と全部海がある所で40年間勤めました。23歳ぐらいの時、時の校長から火の出るように怒られたことがありまして、『今に見ちょけお前よりか偉れなっど』と考えまして50歳で校長になる計画を立て、精一杯頑張って予定通り50歳で校長になりましたがそれが立派な@SI学校かと思ったら何と新設校子供の勉強する18学級は立派な鉄筋校舎。校長室はベニヤ板で周りを囲まれたプレハブで庭木一本なし。しかし持ち前の土方根性を発揮して庭木や芝を植えまくりました。その後管理棟を建てることになり、建設会社の人にいただいた3本筋が入って前に”校長”と書かれたヘルメットは今も持っています。時々それを裏返しにかぶっていると『そりゃ裏返しじゃが』とよく冷やかされましたが、良い校舎を建てていただきました。その新設校は日向市立日知屋東小学校であります。
その後昭和62年まで通算40年間教職を務めましたが実質は39年間であります。何故1年儲けたかというと、当時辞令が3月31日の発令で、あと364日は丸儲けと言うことで40年と言うことになります。本当に年数についてだけは幸せ者でしたが、あとはたいしたことない。
日向を出て高鍋西小学校長時代、昭和55、6年頃ですが、(皆さん方みたいな)地域の有力者に挨拶廻りをしていたところ、ある方に素晴らしい場所として高鍋湿原を紹介されました。
訪ねてみると、自然いっぱいで確かに素晴らしい所だと思い一歩足を踏み入れると虻のようなものがいっぱい飛んでいます。それをよくよく見てみるとトンボでありました。直径約2センチの1円玉よりも小さなハッチョウトンボです。そのトンボに非常に感動して研究の意欲がフツフツと沸きましてからが湿原との関わりの始まりでした。その間、現職でしたのであまり学校を空けると先生たちが何するやら判らんから、土曜の午後から日曜にかけて必ずトンボに会いに行っていました。トンボが最も多く発生するのが何時なのかが私にとっての課題でした。そうこうしていると、足元を見れば見慣れない植物がある。そもそも昭和30年ごろは高鍋湿原の辺りは里山でした。小丸川の洪水対策で、支流である宮田川にダムを造る際、土を採るためにその里山を削り取った後は荒地となって放っておかれたのですが、自然の回復力と言うものはたいしたものです。地球破壊とか汚染とかは人間が為したものですから人間が戻さんと仕方がないと思うのですが、荒れ放題の場所に私の腰の所まで野薔薇が絡み合って立ち上がっている。その下を見てみると湿原の珍しい植物がいっぱい生えている。・・・まあ、いっぱいと言うと今んたチット話が太ちかったですが・・・高鍋弁ですかいお許しください。珍しい植物に太陽の光を当てなければ太らんはずだと言うことで草払い機を購入しました。そのころは家内に『金をくりい』と言う必要がなく、現職の校長ですから事務員に『給料袋はここはちょっとこんげしちょけ』と言ってちょろまかせば『給料はこんげじゃったわ』と軽く家内に言えば済んだわけで、そう言う悪知恵で機械を買って、草を刈っていたわけです。
時の町長は私よりも三つ年上で小学校時代にはよくゲンコツをくらっていたのですが、その人は周りに他人がいると『君は・・・』と仰るんですが、1対1の時は高鍋弁でパッパッと言われるわけで、『岩村ちょっと来てみよ』と呼ばれまして『お前やあ、入っちゃいかんと言う所に入って機械使うて黙っち草どん切りよるげなが。そんげなコツしてお前やあ』と言って大目玉を食らいました。その時は平身低頭『はい、はい、すんません、すんません』の一点張りで後ろを向いた時にはベロをペロッと出すぐらいの気持ちで聞いておりました。『お前が言ったあそこは太陽を当てんと駄目じゃが何を知っちょるふりをするか』と心の中で思っておりました。そう言う横着な奴です私は。それで、言われてもどんどんどんどん切っていたのですが、いよいよ役場の農政課の人間がやってきて『あんますっとやっぱりいかんがね。私たちが怒られるが』と言われるものだから『ああ、そりゃあ済まんなあ。ほな、判らんとこを切るわ』と言って、ちょっと判らない所に場所を変えてずーっと切っておりましたら、宮崎の植物研究家、南谷先生のグループが来て、草をダーッと刈られたのです。勿論そのことは町長の耳にも入りまして、町長の考えは”コロッ”と変わりまして、『ほーっつやっぱ草は刈らんとイカンかったげなわい』と言う言葉に対して私は素直に猫撫で声で『はい、そんの方が良いと思いますが』と言いました。
そして結局、今のような状態に平成8年に出来上がりました。そこで、『こんなに素晴らしいところはもう一般の人にも見て楽しんでもらおう』と言うことで、開放を役場にお願いしたところ、教育長から『盗掘を受けたことがあるから心配だ。ちょっと待ちなさい』と言われました。『盗られやせんが泥棒は人の目があったらよう盗りゃあせんちゃが』と言っても、行政というのは慎重にも慎重を期すところで、ようやく1年掛かって平成10年6月26日に開けていただきました。私にも責任がありますのでそれからずっと見回っていますが、植物は順調に育ち盗掘も一本もありませんでした。1年経って『1本も盗られておりません、沢山増えました』と半ば言葉を放り投げるように報告しました。
それから7年目になる平成17年の現在、私が一番感心するのがお見えになった方がすれ違う時に『こんにちは』と声を掛けてくれることです。人間というものは自然の中に身を置くと本当に素直な自分になれるのですね。今、皆さんが里山あたりを散策なさると空き缶が沢山投げ捨ててあるのをよく目の当たりにされると思うのですが、8年目になる高鍋湿原には空き缶が一本も落ちていないのです。私は今でも草を切って歩きますのでよく判るのですが、近くの竹山あたりにはピッチャーの真似をして空き缶を放り投げる人がいるかもしれませんが、目に付くところには一本もありませんでした。これからもないことを祈っておきたいと思いますが、この二つのことが高鍋湿原で自負して良いことだと思います。
私は78歳になりますがボランティアには80歳の人も非常勤でいらっしゃいます。最年少が55歳、私位の年齢が二人おりますが大体70歳を越えております。それで団体の方がいらっしゃるとガイドを致します。皆さんも是非、いや必ずご家族ででも結構ですから高鍋湿原を訪れてください。三、四人で結構ですから、高鍋町の社会教育課に『何日に10人で行きますわ』と申し出てください。三、四人でも10人と言ってくださいよ個人で回るのと案内を受けるのでは雲泥の差と言われます。『宮崎のロータリーです』と仰って、高鍋町社会教育課、23−3326に電話してもらえば、例え3人のご家族でも『ほんなら私が行くわ』と言って駆けつけます。今日の縁を大事にしたいと思います。
私は自然が好きで自然の中で育って自然にまた帰るわけですから、今一生懸命奉仕、恩返しをやっているところです。もう、家内が墓石の心配を時々してくれますが、『ヨザンなコツ』と言って撥ね付けておりますが、今日は『卓話は1時半に止めなさい』と言う増田工務店さんの指示です。ありがたいことに時々草刈をやっていただく増田工務店さんの指示ですので『はい、1時半には止めます』と申し上げます。それでは、これから高鍋湿原の様子をスライドでご紹介します。お腹一杯で眠たくなられた方はどうぞお休みいただいて結構です。
<この後スライドによる解説>
≪湿原の様子≫
湿原に水を供給している池が四つありまして全体的に水を補給してくれています。
≪湿原の案内板≫
サギ草の姿が反対に書いてあります。逆立ちをして見てください。
≪サワオグルマ≫
湿地特有のキク科の植物で3月から4月にかけて黄色い花が群れを成して咲きます。
≪ハルリンドウ≫
観察道から見ることが出来、色合いが清々しく秋に咲くリンドウと違い4月末に咲く。
≪オンツツジ≫
西都原にあるミツバツツジとは雄蘂と雌蘂の状態が違う。
≪カザグルマ≫
園芸店でクレマチスと言う花が良く売られているが、その原種。一回盗掘を受けて、西都市の方にお持ちの方がいらっしゃると聞いてもらいに言ったら快く分けていただきました。『うんにゃ、これは人からもろたつよ』とおっしゃっておりましたが『なあーんが、自分で採っちゃったろが』と思いました。
≪ミミカキグサ≫
耳かきの格好をしたものは黄色い種。食虫植物で地面の小さな昆虫を捕って食べる。花は優しいのですが性質は獰猛そのもの。
≪ムラサキミミカキグサ≫
同じくムラサキミミカキグサ。
≪ホザキノミミカキグサ≫
皆、食虫植物です。
≪タヌキモ≫
黄色い花を付け、ガマの根っこにあり、食虫植物で水面を流されながら小さい虫を食べる。
≪トキソウ≫
絶滅危惧種。沢山咲いてくれます。これは普通のトキソウでヤマトキソウも沢山あります。
≪カキラン≫私が撮った写真じゃからもうたいがいなこってすが。ボーッとしおって私と全く同じで、今年12〜3株まとまったのが咲いてくれました。
≪ヘビノボラズ≫
棘がイガイガしていて、学者が『蛇もよう登らんじゃろう』と言うことで命名しましたが、なーんの蛇はホイホイです。これは特殊な植物で、九州では高鍋湿原に50株ほど、川南湿原に若干ございまして、あとは伊勢湾周辺三重県、愛知県、岐阜県にしかないそうです。そう説明すると『なんでここら辺に・・・』と不思議がられますが、誰かが持ってきたのだろうと思います。
≪モウセンゴケ≫
≪オカトラノオ≫
虎の尻尾に似ているからそう名付けられたと牧野植物図鑑に書いてありますが、なんぼ見ても虎の尻尾に見えんと
≪ニラバラン≫
葉っぱを切って嗅いでみますと韮の匂いがします。葉一本、花一本で咲くラン科の植物です。葉は枯れてしまって花が咲いてくれています。
≪サギソウ≫
上の方に傘があるのが本当で、高鍋湿原の案内にあるのは逆様の図なのです。
≪ヒメノボタン≫
9月から10月にかけて咲く。ヒメと言うのは植物学上では小さいと言う意味。ノボタンの小さいものと言う意味で、九州では一番多いだろうと言われています。何千株とございます。
≪サワヒヨドリ≫
秋の七草、フジバカマに良く似ていますが、フジバカマは葉っぱが三本槍ですがこれは刀のように一本スーッと出ているだけで区別が出来ます。
≪ガマ≫
会長さんには大変失礼かと存じますが、下の方の茶褐色になるのが雌花、ちょっと間を置いて上の方にグジュグジュッとあるのが雄花です。雄花は黄色い花粉を3、4日だしてすぐ枯れてしまいます。まさしくこのガマは人生ですよ。女の強いことを証明していますと言って、大笑いをして通ってもらっています。
≪サイヨウシャジン≫
葉が細いシャジンの仲間です。
≪ツルリンドウ≫
ツルのような状態で咲いております。
≪キイトトンボ≫
私たちは珍しくないのですが市内から団体でお見えになると『あら珍しいがこりゃ初めて見たが』と仰いますが、『あそうですか、えーっ、沢山おりますよ』と言ってあげます。
≪コシアキトンボ≫
腰のところが白っぽくなっています。
≪ハラビロトンボ≫
でっぷり肥えております。腹が広いからハラビロトンボ。覚えやすいですね。
≪ハッチョウトンボ雌≫
私が最初に魅せられたハッチョウトンボの雌です。
レディーファーストですから雌の方から先に出しました。
≪ハッチョウトンボ雄≫
真っ赤にしておりますからすぐに見つけることが出来ます。4月の下旬から8月いっぱいは充分楽しむことが出来ます。今年は雨が降らなかったのでポンプでの水揚げに大変苦労しました。卵やヤゴを守るために努力をしたつもりであります。
≪東部湿原と西部湿原≫
西部湿原の方がより湿原らしい様相を呈しています。
冬場になりますと草を刈って全部外に出して行きます。そして太陽光線を当てて、次の春の芽出しを良くするために一生懸命ボランティアで努力をしています。夜の夕映えと共に(写真のようにこんなに暗くなるまではおりませんけど)作業を終えて帰ってまた次の日に出かけるという風にしてございます。そういう風にして私たちは高鍋湿原を後世に残そうとしています。年間4万〜4万5千の方がお見えになっていて、今高鍋で最も人出の多い所です。しかし、一番予算の少ない所でもあります。今度は町長に言おうと思っております。何故ならば教え子ですから。昨年の日誌を見ましたら365日のうち342日高鍋湿原に出向いたことが判りました。盆正月、雨の日に休んだのだと思います。高鍋湿原をこよなく愛し、自然と共に生きている私で、太陽と親しんでおりますのでこの色の黒いこと本当に今日は貴重な時間をいただきましてありがとうございました。
(担当:長友敬治)(写真撮影:岡 美智子)