第2232回例会/平成17年7月22日(金)
会長挨拶(林 務会長)
会長挨拶(林 務会長)
本年度のRIの強調事項の一つに識字率向上が謳われています。そして今月は、その識字率向上月間となっております。しかし「識字率向上」と言われても、多くの皆さんは奇異に思われると存じます。実は私もそうであります。しかし、ここがロータリーの国際的な点でありまして、ロータリーは世界168ヶ国の地域に存在していますから、RI会長としては、全世界に目を向け、何処が救いの手を求めているか?何処に支援の手を差し伸べるか?を第一に考えます。
では私は、本年度クラブ会長として、RIが推進するこの問題に力を入れて取り組むかというと、NOであります。それは皆様お解りのように、我が地域において文盲の問題は皆無だからであります。そして、RIからもお咎めはありません。ここがRIの素晴らしい点でありますが、RIの管理の基本原則は、各RCの大幅な自治であります。元来、奉仕の種類や程度は各クラブやロータリアンが、自己の能力・資力或いは地域のニーズによって決定されるべきであり、おのずと各RCによって異なってくるのは当然であります。従って各RC、ロータリアンがRIの方針を実践するにあたっては最大限の柔軟性が認められているのです。
ロータリーの組織は、個々のロータリアンの集まりであるロータリークラブと、ロータリークラブの連合体である国際ロータリーの2つだけであります。つまり各RCは総てRIに直結する事により「国際理解や国際親善、或いは平和を推進する共通の目的と共通の責任を負うべきである」という考えに基づいているからであります。
では地区とは何か?というと、RIは、世界に拡がるRCを管理する為に幾つかの地区に分割しています。これをロータリーでは地区と呼んでいるのですが、つまりロータリーで言う地区は、RIが管理の便宜上、ただ単に設けた地理的区域に過ぎません。従って地区は、企業で言うRI(本社)→地区(支社)→RC(営業所)といった関係ではありませんし、地区ロータリーとも呼ばないのです。
RIは、この地区を管理するのに地区ガバナーを指名します(但し選考は地区が行い、RIは一定の研修を受けたら承認する)が、地区内で唯一のRI役員である地区ガバナーもまた、このRIの管理の基本原則に則り、地区内の各RCやロータリアンを指導助言する事はあっても、命令、監視、干渉は勿論、抹殺するような事は決してありません。
幹事報告(日高 久夫幹事)
(1)週報の一番後ろに例会変更のお知らせがしてありますのでお読み下さい。
(2)もう一つは8月のカレンダーをボックスの横に貼っておきましたので、こちらもお読み下さい。
(3)最後になりましたが、一人100ドルの達成のために、今回も募金箱を回しますので宜しくお願いいたします。
出席委員会(阿部 倫也委員)
本日の出席状況(前記の通り)。
来週は100%出席をお願いいたします。来週はまた、例会と旧三役慰労会がございますので、皆様ふるってご参加の程、お願い申し上げます。
親睦委員会(金丸 宣裕委員)
本年度からハッピーは親睦委員会が担当することになりました。1年間、どうか宜しくお願いいたします。
まず、最初のハッピーは本日の朝日新聞にロータリークラブの認知向上を図るべく「宮崎経済の顔欄」に紹介されました菊地 平会員です。ガバナーの大役、大変ご苦労様です。ハッピーを頂戴させて頂きます。
続きまして、日高 久夫会員を紹介いたします。「お菓子の日高」さんにお勤めの上野さんという女性パテシエさんが今回、7月8日に行われました九州地区洋菓子技術コンクールで優勝いたしました。おめでとうございました。日高久夫会員の周りには本当に優秀な女性が沢山いらっしゃいます。ハッピーを頂戴したいと思います。
三番目に久保 裕会員を紹介させて頂きます。お茶のインストラクターとして皆様ご承知の通り、宮崎日日新聞にデカデカと登場されました。夏の飲み物として、冷たい水を使ってもおいしいお茶が飲める商品も開発され、日々活躍しております久保 裕会員にハッピーを頂戴したいと思います。
最後になりますが、前園善彦会員を紹介いたします。第一例会、7月1日に函館の会議に出席して参りました。利尻島に渡り利尻富士を見、礼文島に渡り、高山植物を見、生のほっけを鉄板の上で味噌で焼いて食べてとてもハッピーでした。ハッピーを頂戴したいと思います。以上ですが、これで終わります。
岩切 承自会員
こんにちは、岩切です。今日は書店としての立場でしょうか、この度、前田暢俊会員が第三作となります、「宮崎市の都市再生プロジェクト」という本を上梓されました。2001年には「明日の宮崎」、2003年には「地域発展への鍵」という2冊が出ていたのですが、2年後の今回、「宮崎市の都市再生プロジェクト」という本をお書きになっておられます。これは、チラシを中に入れてあったと思うのですが、イラストもふんだんに使って、歴史と環境を縦軸、横軸として宮崎市に絞って、どういう風に美しい街作りをして行くのかという御提言がかなり詳しく書いてございます。やはり、我々は宮崎市に住んでいて、今の疲弊したというか、衰退して行く宮崎市に関心を持たなければと思いますので是非ご一読頂きまして、ご購入頂ければ幸いだと思っております。また、この益金につきましては、前田会員はスマトラ沖地震の義援金として送金されると言うことでございます。事務局にも置いてございますので、是非ご購読頂ければと思います。税込みで1,470円です。今日の籾木さんの卓話にも宮崎の歴史と言うものが語られてくると思いますので、その関連の中でも是非ご一読頂きたいと思っております。前田会員に成り代わりまして、宜しくお願いいたします。また、次週にハッピーを出させていただきます。どうも有り難うございました。
久保 裕委員
皆様こんにちは、プログラム委員の久保でございます。思い返しますと丁度10年前の地区大会が開催された折もプログラム委員をやっておりまして、今年も奇しくも同じ地区大会と言うことで1年間頑張ってまいりたいと思っております。どうぞ、宜しくお願いいたします。
それでは、本日の講師の籾木さんをご紹介致します。お手元に詳しいプロフィールを配っておりますので、こちらの方をご覧になっていただきたいと思います。籾木さんは現在、宮崎県総合博物館の主査をお勤めでございます。皆様のお手元に今、好評開催中の「大唐王朝女性の美展」、会員の方の中にも行かれた方もいらっしゃるかと思いますが、6月10日の宮日新聞の方に、日本も同時期に女帝が居たと言うことで、それに関する寄稿文を寄せて居られます。そちらのほうの資料も皆様のお手元に配布をしておりますので、宜しくお願いいたします。本日はご専門が、私は中国の唐の時代かなと思っていたら、さにあらず、日本の明治末期から大正期の歴史がご専門と言うことで、特に今回は宮崎県の有吉知事の施策を通じて明治の末期から大正初期にかけての宮崎県の抱えていた今日的な課題と宮崎県人の持つ力、こういったものについてのお話を頂戴したいと思います。それでは、最後までどうぞご静聴を宜しくお願いいたします。ありがとうございました。
ゲスト卓話(籾木 郁朗氏)
本日は、このような場にお招きいただき、身に余る事と考えています。せっかくの機会ですので、私がこれまで取り組んできた宮崎県の近代史研究の中から、現在と経済状況がよく似ている明治末〜大正初期の宮崎県について、第13代知事有吉忠一の施策を御紹介しながら、現在に活かせる視点はないか考えていきたいと思います。
まず、はじめに第6代知事千田貞暁の施政方針をみると、宮崎県の明治30年代の課題は、
^運輸交通の充実
_実業教育の普及
`品評会・博覧会の開催
a団体の設立
b品種の改良
c移民の奨励
d病虫害の予防でした。
なかでも、「一国の元気を養成し以て国を富まし兵を強ふするの原素は小学校にあり」と、教育に最も力を入れるべきだという姿勢を示しましたが、大資本不在、実行力の不足、頻繁な知事の交代などから、課題の解決がなかなか進みませんでした。
明治44年3月に第13代の有吉知事が赴任してきました。有吉は朝鮮総督府総務部長官でしたが、脊髄の病がひどくなり転地療養を兼ねて宮崎に来たのです。山県有朋系の内務官僚でエリートの有吉は、宮崎県をいろいろな仕事ができる場所として選びます。有吉のスタンスは、県民性や県の特徴を把握して政治を行うところにあり、県内のほとんどの町村を巡回し、町村長会にも出席して会話し、民情を理解する事に努めました。そして、赴任した年から積極的な政策を展開します。日露戦後の不況と緊縮財政のなか「本県ノ今日ノ状態カラ致シマシテ本県ハ退イテ守ルト云フコトヨリモ進ンテ開クト云フコトカ急務テアル」との考えから、宮崎県の実情をみて、永年の課題であった鉄道の敷設、港湾の改修という交通機関の整備、基幹産業である農業を支える開田給水事業を実施しました。しかも、県の一般会計に頼る事はできないため、特別会計を組んで、県債の発行と大蔵省預金部低利資金制度の活用による資金調達を行いました。県債発行額は明治45年〜大正4年で200万円にも上り、当時の県の決算(単年度)の約2倍にもなっています。営業収入や鉄道の国買い上げによる償還という見通しを持っていたものの、実際には後年に負債は残っていくことになりますが、産業の基盤整備という大きな財産を残しました。有吉の考え方は、事業の展開は作るだけではなく活用すること、というものでした。負債を抱えてでも将来の経済発展につながる事業を展開したのです。
さらに、宮崎県民の精神的な支えとなる事業も行いました。皇祖発祥の地とされる宮崎県で、西都原古墳の発掘調査を行いました。これは全国で初めての本格的な発掘調査で、東大・京大の一線級の研究者を招いています。さらに古代史を中心に宮崎県の歴史を明らかにしようとする『日向国史』の編さんを始め、日本の歴史の源が宮崎にあるという意識を県民に与えました。教育面では奨学制度を設けて高等の学校へ進学できるようにし、「町村治要綱」を作って町村に産業生産数値目標を設定させました。製茶業、蚕業、畜産業では、県外から講師を招いて進んだ技術や考え方を導入するなど、各分野で人材育成を目標にしています。
有吉は、このような大きな改革をわずか4年間で実現していきました。強力なリーダーシップを発揮して明治30年代の課題を解決していったのですが、背景には宮崎県の人々が全面的な支援を行ったことがあげられます。有吉が大正4年に宮崎を離れる時、政財界・法曹界あげて送別会を開催し、『攀轅余情』という送別の冊子まで作成しましたが、送別会の発起人をみると、宮崎県の各分野を担う人々の名前が並び、全県的に有吉を信頼していた様子が伺えます。有吉は宮崎の人々を「醇朴」「木訥」「質実」「正直」「親しみ」「言責を重んずる」人々であるととらえ、宮崎の土地柄を「気候温和」「地味肥沃」「天産物豊か」と評しています。有吉忠一という政治家を得て宮崎県の各界を担う人々が協力することで、ドラスティックな変化を起こす事ができた、と考えられます。このような宮崎県人の素質を引き出した有吉の手法と、変化を起こす役割を担った宮崎県人の力は、県の歴史上高く評価できます。
博物館に勤めるなかで、宮崎の自然の豊かさ、古代から続く歴史の重さを感じています。例えば鉄道では大正12年に日豊線が開通してから幹線に大きな変化がないように、宮崎は発展から遅れた後進県とみられながら現在に至っていますが、逆に言えば、日南海岸、霧島、高千穂など多くの自然を残してきたのは宮崎県人のこだわりであり、全国各地で開発の進んだ現代に至っては、守り続ける事の大切さをみることができますし、宮崎県人の財産といえます。作ることよりも活用すること、を考えながら県政を担った有吉とともに、明治末〜大正初期に大きな変化をもたらした力が宮崎県人にはあるわけですから、時代の状況や取り巻く環境を考慮しながら、守ってきた財産を活かしつつ次世代へ伝えていくことができるのではないでしょうか。各分野の人々が連携を取りながら、よりよい宮崎づくりができればと強く思います。
本日はどうもありがとうございました。
卓話御礼の挨拶(林 務会長)
私も実は全然知りませんでしたが、明治44年の頃は分かりませんが、有吉知事という方は大変素晴らしい方だったなということは良く分かりました。願わくば、この方が京都生まれではなくて宮崎県人であったら良かったなというふうに、実は思っております。今日、外山県議はお見えではございませんが、是非外山県議にもそのような素晴らしい、宮崎を引っ張っていくリーダーになっていただければなあと思った次第でございます。今日はどうも有り難うございました。
(担当:金丸禮三)