第2227回例会/平成17年6月17日(金)
会長挨拶(林 務 会長エレクト)
本日は、小田原会長並びに井手脇副会長がシカゴ国際大会出席のため、代わって会長エレクトの私が会長代理を務めさせていただきます。
それではまず最初に、本日の卓話をいただきます西都原考古博物館主幹の北郷泰道さんでございます。それから今日から私どもの西クラブの仲間にお入りいただきます、日本生命宮崎支社支社長 山本博明さんでございます。後ほど入会式を執り行いたいと思います。続きましてビジターのご紹介を申し上げます。佐賀県の伊万里ロータリークラブ、職業分類は貴金属、堤久成さん、ようこそいらっしゃいました。それから、延岡東ロータリークラブ、職業分類は薬剤師、佐藤@TW隆俊さんです。
ロータリー誕生100周年の最後を飾るRI活動国際大会ロータリー発祥の地、シカゴで開催されるのに合わせ、我が西クラブから菊地GEご夫妻、小田原会長ご夫妻、森重クラブ幹事、衛藤クラブ副幹事、金丸憲史次期地区幹事の13名が、一昨日出発されました。宮崎市内6クラブでは唯一の参加であり、参加された皆様に絶大なる称賛の言葉を贈りたいと存じます。
さて、本年度も来週が最終例会となりました。7月からは我が西クラブも46年目に突入するわけでありますが、スタートするにあたり大変気になるのが会員数の減少であります。先の理事会で、吉賀会員、松原会員、西岡恒之助会員の退会が受理され、それ以外に数名の会員が退会を予定されておられます。本年度は純減4名となり次年度は74名でのスタートとなりそうであります。
会員の減少といえば地区も同じであります。10年前、竹内ガバナー年度3,123名だった会員数が本年、三木ガバナー年度は2,646名に減少しております。率にして15%の減少であります。この月末にかけてはまたまた退会者が予想されます。
このように厳しい環境の中で菊地ガバナー年度がスタートします。喜島地区資金委員長も財政のやり繰りに相当ご苦労されると存じます。
次年度の話をするのは小田原会長に大変失礼なのですが、何卒次年度は会員増強を宜しくお願い致します。次年度は地区会員増強委員長に我が西クラブの日高文雄会員を送り出します。菊地ガバナー、喜島地区資金委員長、日高文雄地区会員増強委員長をささえていただくためにも、そして何より我が西クラブを発展させるためにも会員増強の絶大なお力添えをお願いして、会長の代理としての挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
幹事報告(代理 岩切 承自会員)
こんにちは、幹事報告をさせていただきます。先ほど会長からもご報告がありましたように、我がクラブからは、会員が8名ご婦人が5名、計13名が国際ロータリークラブの世界大会に出席になっております。幹事、副幹事ともに出席のため不在ですので、久々に役割がまわってきました。あまり報告はないのですが、例会変更のみです。宮崎ロータリークラブが6月28日の例会が年度末夜間例会懇親会のため変更です。午後6時半からシェラトングランデオーシャンリゾート42階です。もうひとつ宮崎中央ロータリークラブ6月30日の例会が年度末家族懇親会のため夜間例会に変更です。午後6時半からフェニックスカントリークラブクラブハウスで行います。この2点が例会変更で入っております。それでは次に出席委員会報告をお願い致します。
出席委員会(黒木 寛会員)
みなさま、こんにちは。本日の出席状況を報告いたします。会員数80名、本日出席50名、本日欠席30名、出席率62.5%。なお前々回修正出席率、6月3日分ですが、87.34%です。みなさまにお願いですが、6月10日が100%例会となっております。6月10日に欠席された方がいらっしゃれば、次週までにメーキャップを取って頂きたいと思います。よろしくお願い致します。
新入会員紹介(浜砂 猛敏会員)
私のほうから本日入会されました、山本さんを簡単にご紹介させて頂きます。山本さんは、今年の春まで同クラブの会員であられました日本生命宮崎支社の岡本支社長の後任者としてこの度赴任されました。前任は湘南支社長であります。お生まれは1954年でご出身は北海道であります。ご家族の方は、奥様と小学生の男のお子さんがお一人と伺っております。家族の方は大阪にお住まいで、単身赴任、湘南支社長のときも単身赴任だったとお聞きしております。趣味は何ですか?とお伺いしましたら、スポーツ鑑賞かなとおっしゃいましたけれども、ご覧の通りの体格でございますから、スポーツもおやりになると思われます。ゴルフはとお聞きしたのですが、5月末にあるところのコンペがありまして、たまたまご一緒したのですが、ハンディは20〜25くらいかなと感じました。宮崎でゴルフを上達して帰りたいとおっしゃってましたので、よろしくお願いします。それからロータリークラブ歴がございまして、平成13年東大阪ロータリークラブに所属しておられたそうです。前任の岡本さんはたいへんお仕事がお忙しいようでありまして、ご承知の通り、なかなか本クラブへの出席はおぼつかなかったといいますか、そのこともお話ししまして、ぜひ出席をお願いしますと申し上げた所であります。元気のいいかたでありますのでよろしくお願いします。山本会員ご挨拶をお願いします。
新入会員挨拶(山本 博明会員)
みなさま、こんにちは。日本生命の山本でございます。ただいま浜砂会員からかなり細かい所まで紹介いただきましたので、自己紹介は割愛させて頂きます。大変名誉ある伝統のある宮崎西ロータリークラブに出席させて頂きます。少しでもお役に立てればと思っております。みなさん宜しくお願い致します。
退会会員挨拶(吉賀 幸夫会員)
吉賀幸夫でございます。この度永年お世話になりました、当クラブの会員を本意ではありませんが、年齢の限界を感じます。満90歳を半ば過ぎたのであります。最後のご挨拶をして、私のロータリークラブへの感謝を言葉として贈りますのでお聞き下さい。
私は、大正3年9月の生まれでありまして、満90歳を過ぎて、今度の9月で満91歳となります。当クラブへ入会しまし@JSたのは、昭和36年3月5日です。一年前にこの西クラブが生まれたのです。橘デパートの西側の映画館に向かった4階か5階に会議室があって、そこで西クラブが産声を上げました。その当時の会長さんはもう既に亡くなって居られます。クラブも少なくていろんな業界の人が集まって、「親睦」の西クラブが出来たのです。そして、当時の田崎亀夫会長が初代会長です。第二代目は、栗林 東吾さん 第三代目は、佐原伝次郎さん・・・・そして、第十代の会長を私が仰せ付かったのです。私の後に橋本さん、竹内先生・・・と続いて会長を務めました。つくづく気持ちのいい西クラブが出来たものだと思いました。早いもので、時移り、歴史が変わって、私が退会することになりました。当時は私も四十代でしたが、そろばんが苦手なのに会計をやらされました。ロータリークラブの指名ですからしかたなく受けました。大変困りましたが、私の病院に女性の事務員を雇って居りましたので、その斎藤さんという女性にお願いしてどうにか切り抜けました。それを思い出すと大変懐かしいです。今回の退会理由は、特に病気で倒れたと言う事ではありませんが、九十歳を過ぎますと足腰が弱ります。皆さんも足腰を鍛えたほうが良いでしょう、私も歩くのが弱くなったのでロータリーも限界だと思って残念ですが皆さんとお別れすることにしました。今日までいろいろとありがとうございました。
(林務会長エレクト)先生には、40年間の長きに渡りましてご活躍いただいたのですが、本日最後ということでございまして多額の社会奉仕基金を頂いております。なお西岡恒之助会員からも多額の社会奉仕基金を頂いております。
次年度幹事挨拶(日高 久夫会員)
次年度より二つほど。ひとつは会員名簿の作成用紙をボックスの中に入れておりますので、変更がない場合には空欄のままご提出をお願い致します。もう一件は、次年度の第一回の理事会を例会終了後に行いますのでよろしくお願い致します。
引き続きまして、本日卓話をお願いしております、北郷泰道様で1953年に都城でお産まれになっております。立正大学の考古学を専攻された後、現在は宮崎県立西都原考古博物館主幹ならびに宮崎公立大学非常勤でいらっしゃいます。
本日の卓話(北郷 泰道氏)
こんにちは。このような会に顔を出す事は、私のような仕事をしている限りないことですので、興味津々で会の在り方を拝見していた所でありますけれども、今日喜んで来たのは、宣伝をふたつしたいと思いまして、ひとつは、今ご紹介いただきました西都原考古学博物館です。昨年の4月17日にオープン致しまして、1年ちょっと経ちますけれども1年目で15万5千人の来館者を迎える事が出来また。地域の博物館としては10万超えれば大健闘だという事ですけれども、2年目なんとかこの数字を維持していきたいということで、いろんな所で、こういう形でもPRをしていきたいなと思っております。この中で、早速見に行ったよ、と声をかけていただいた方もいらっしゃいましたけれども、ぜひまだ来られてないとすれば、宮崎の新しい観光スポット足りえるものですので、ぜひご覧いただいたうえで、広く宣伝等して頂ければ、私どももありがたいなと思っております。ともかく、今までの博物館にない新しい概念といいますか、目からうろこの部分がいろいろある博物館でございますので、ぜひだまされたと思っておいでいただきたいと思います。時間は1時半にきちっと終わるのがこの会の礼儀らしいので、とり急ぎたいと思いますが、もうひとつ今日お話を差し上げる大部分は、7月の下旬に同成社という考古学歴史関係の本を出版する出版社でありますが、シリーズ「日本の遺跡」というものを刊行します。吉野ケ里だとか、全国の代表的な各遺跡を今の予定では70から80くらい扱っていくのだそうですけども、幸い第一巻に西都原古墳群を書いてくれということで、西都原古墳群を中心とした南九州の歴史についてまとめましたので、ぜひ岩切書店を通じてお買い求め頂ければ、ありがたいなと思います。7月下旬に刊行されます。今日お話を差し上げるのは、その中の一番エッセンスといいますか、一番おいしいところだけを取り急ぎ20分程度お話を差し上げたいと思います。とは言え、前提となるいくつかの約束事を頭の中に入れていただいた上で、今日のお話をお聞きいただきたいと思います。最終的な結論は、日本で一番大きな帆立貝型の古墳、男お狭さ穂ほづか、それと、九州で一番大きな前方後円墳、女め狭さ穂ほづか、これは両方とも宮内庁の管轄、天皇に関するお墓の可能性があるということで、陵墓参考地ということになっております。そういう巨大な古墳の被葬者、「誰が葬られているのか」ということについて今日はお話を差し上げたいと思います。ずばり、誰が葬られているのだという事を今からお話を差し上げたいと思います。リーフレットを持って参いりました。西都原古墳群についての全体の地図、大きくは6ヶ所ほど平成7年から整備をやってきております、古墳の中に入って古墳の埋葬の状況を見学いただいたり、それから古墳の本来的な形がどういうものであったのかと、いうことを見学いただくようなかたちになっております。観光統計の仕組みもいろいろありますけど、昨年度統計では西都原古墳群が宮崎県内では第二位の観光地になっているようです。第一位が高千穂、それから第二位がずっと綾町だったのですが、昨年度で西都原古墳群が第二位の観光地となっているようです。十分に見学できるような整備もやって参りました。西都原考古博物館という施設も出来上がりましたので活用していき、宮崎県観光浮揚の一躍を担うことが出来ればと思っています。さて、みなさまにお渡ししております西都原古墳群の図面をご覧下さい。今日お話をするのは、この図面の一番北側の二基の古墳、男狭穂、女狭穂のことです。前提となるひとつの約束事と申しますのは、前方後円墳、前のほうが四角で、後ろが丸い古墳ですが、丸い部分に遺体を納める墓ですけれども、前方後円墳というのは、首長(地域のボス)の墓という大きな一つの仮説があります。円墳だとか方墳に首長が葬られる事はあるのですが、前方後円墳には首長及び準じる人以外は葬られないという前提です。地域の首長の墓であるということです。そして、その墓の大きさは、葬られる人の生前の権威、権力と比例していると考えられています。全国的な規模から申しますと応神天皇陵が体積では、一番大きな前方後円墳と言われており、大きさでは、全長486mありますけど、仁徳天皇陵が一番大きな前方後円墳と言われております。よく、歴史教科書や本を見ますと。エジプトのクフ王のピラミッドより大きい、あるいは、秦の始皇帝稜より大きいと言われておりますが、世界史的な観点でも一番大きな墓は仁徳天皇陵と言われております。しかしながら、天皇陵が、仁徳天皇陵や応神天皇陵のように特定できるかと言うと、考古学界では非常に問題がありまして、所謂、天皇陵に指定されている古墳に関して二基くらいしか確実なものはないと言われています。この、応神・仁徳天皇陵といわれるのは、五世紀の中期から後期にかけての古墳だろうと考えています。後にも触れますが、応神・仁徳天皇は、実在したならおそらく五世紀前半に存在しただろうと考えられている天皇です。ですから、現在指定されている前方後円墳が両天皇の墓だとすると50年くらいの開きが出来てしまうわけです。本当に両天皇が被葬者なのかはまだまだ研究していかなければならない事なのです。今日は、このような事も前提としながら、古事記、日本書紀の中で、日向の国と天皇家、当時は、大王と言われてましたが、そういう関係がどうあったのか、又その中で、男狭穂、女狭穂という巨大な古墳が成立した背景、被葬者を考えていこうと思います。この古墳は、宮内庁の直接の管理ですから自由に立ち入る事は出来ないのですが、私たち県の教育委員会では、平成9年に測量調査、それから昨年度から地中にレーダーを通しまして掘らずに地下の地形の変化を観察しようという調査を全国で初めて出来るようになりました。まだ、初年度なのでまだ成果は表れておりませんが、皆さんのお手元にある、新聞記事は、平成9年の測量を元に書いた記事でございます。一番上段の真中辺りに書いてありますが、男狭穂は、墳長154mという大きさになります。帆立貝のような形、前方が非常に小さな古墳でこの図面で見ていただいても、ヒョロヒョロと長いのは後世の攪乱だと思いますので、これを隠しますと前方が短い形になり所謂、帆立貝のような形だと言う事です。この形の古墳としては、これまで奈良県の馬見古墳群の中に130mの乙女山という古墳がありますが、それをかに超す、@KN154@KNmの古墳であることが確認できました。また、女狭穂については、第二段目の六行目に書いておきましたが、墳長176mの古墳であります。そして、大阪の仲なか津つ媛ひめ陵りょう、すなわち応神天皇のお后のなかつひめのお墓と相似形である、現実的には五分の三(約60%)の大きさで造られている事が分かりました。畿内の天皇家に関わる古墳と同じ設計図で作られている事が分かってきています。この段階では、被葬者像まで深く入ることをしませんでしたが、今回ご紹介した本を纏める際、突っ込んで整理をしてみたいと思いました。皆さん系図の方をご覧下さい。この両巨大古墳は、天皇家に関係する人物が葬られている可能性が高いと言うことで、宮内庁により陵墓参考地にじじょう治定されています。その被葬者は、瓊に瓊に杵ぎの尊みことと木この花はな開さ耶くや姫ひめだと言うことです。しかし、その実在性を指示する研究者は皆無でしょうし、また多くの方もやはり神話的世界のお話だと思っておられると思います。
しかし、景行天皇から継体天皇にかけての『記紀』の記述について、おおよそ@KN4世紀から6世紀、つまり古墳時代に相当するものだということについては、逆に異論を挟む研究者はいないと思います。そうして『記紀』を読み進みますと興味あることに気付きます。つまり、天皇家と日向の豪族との婚姻関係についてです。景行天皇には、日向から髪かみ長なが大おお田た根ね、御みは刀かし媛ひめが嫁いでいます。ことに御刀媛の子豊よ国くに別わけの王みこは、日向国造の始はじめ祖のおやと言うことになっています。さらに、応神天皇にも泉長媛が嫁いでいます。次いで、仁徳天皇には髪長媛が嫁いでいますが、この髪長媛こそ重要な存在として浮かび上がってくるのです。それは、その子・孫の代に天皇家(大王家)内部での継承権争いなどにおいて、大きな事件が起きるからです。雄略天皇に、孫に当たる眉まよ輪RMわの王おおぎみは殺されることになるのですが、同時に葛@RMかつ城ら氏の圓RMつぶらの大おお臣RMぎみも殺されているのです。この葛城氏との関係こそ重要な意味があります。つまり、仁徳天皇の皇后の磐いわ之の媛ひめは葛城襲そ津つ彦ひこの娘であり、髪長媛の父親・諸県君牛うし諸RMもろ井いと共に天皇家の外戚としての地位にあったということになります。実は、葛城氏の古墳群は奈良県馬見古墳群で、帆立貝形古墳が多いことで知られる古墳群です。ここで、帆立貝形の男狭穂とが線で結ばれることになります。結論を言えば、男狭穂の被葬者は諸県君牛諸井、女狭穂の被葬者は、娘の髪長媛と言うことです。当時は、帰葬といって嫁ぎ先から親元に帰って葬られるのが一般的であったので、髪長媛が日向の地に葬られているのは何ら不思議なことではないのです。
駆け足でお話しましたが、シリーズ「日本の歴史」の第一巻を読んでいただければと思います。ご静聴ありが
(担当:阿部倫也)