第2207回例会/平成17年1月7日(金)
会長挨拶(小田原 義征会長)
明けましておめでとうございます。皆さん三ヶ日は快晴でありました。いかがお過ごしされましたか。良い正月であったと思います。
 師走は新年を迎える準備で大掃除、餅つきと、今はスーパーで売っていますが、昔は家族みなそろって餅つきを楽しんだものです。餅は神棚に供え、年が明けると「神がくださったもの」として大切に食べました。これがお年玉の始まりだそうです。慌ただしいなか、大掃除やおせち料理の準備が終わり、大晦日に家族がそろって一息つき年越しそばを食べます。
 年越しそばを食べる習慣は、江戸時代から商家の多忙な月末にもそばは簡単に食べられることから「みそかそば」といって、晦日の夜食べていた。なぜそばか、金箔師が仕事場に散らばった金の粉を集めるのにそば粉を使うことから、そばは金銀を寄せ集めること、そして細く長くそばの縁起を担いで長寿を願うなど謂れがあるそうです。12時になると除夜の鐘が鳴り響きますが、私は今は自宅で聴いておりますが、4年前までは30数年間宮崎神宮で聴いて新年を迎えておりました。
 「除夜」というのは、夜を除く、つまり大晦日は夜通し起きて一年の迷いを除き神様やご先祖様をお迎えし、百八の煩悩を取り除いてくれる除夜の鐘を聴きながら家族そろって新年の幸せを願うそうです。
 1月6日8:00冷たい雨の降るなか社員全員、宮崎神宮の拝殿でお祓いを受け、玉串奉奠をして1年間の無事を願い仕事始めがスタートしました。「神社の社、奥の殿には質素な一面の鏡が礼拝の主なる対象である。つまり、鏡は人の心を映し、人の心が静穏で澄みきっているときは神の真の姿を映す」
 私、会長もあと半年となりました。会員の増強、出席率の向上、2月23日100周年中部分区の合同例会、西RC100周年記念事業として当日12:00〜13:00古紙回収を行う。
 4月8日 創立45周年を家族大懇親会で祝う(35周年以降退会した人にも出席を願う)
 4月9日 フェニックスGFカントリークラブゴルフ大会をする。
 6月16〜6月22日 100周年国際シカゴ大会に当クラブから17名参加、誠に有り難うございます。
 それから継続事業もしっかりと実行していきたいと思いますので、皆様のご協力・ご支援を最後まで宜しくお願い申し上げまして新年の挨拶と致します。


幹事報告(森重 勝雄幹事)
ヨ例会変更のお知らせ(裏表紙に記載の通り)
第16回日本ロータリー親睦ゴルフ全国大会が3月4日に琉球ゴルフクラブ(沖縄)で行われます。興味のある方は事務局にお尋ねください。
 佐土原R.Cの15周年記念誌が届いております。
 三木ガバナー事務所よりロータリー100周年記念専門職奉仕賞推薦書が来ております。この賞は国際ロータリーがロータリーの理想を実践する卓越した職業上の業績に対し、地域の人々を表彰するものです。推薦基準は、ロータリアン以外の個人を対象とし、従事している専門職業分野において高度の道徳的水準を守っておられる方と認められる者、専門職業分野において卓越した業績を収められている者、従事している専門職業分野において他の人々に研修を施した、あるいは相談、指導をした経験を持つものであること。各クラブより1名推薦で締め切りが今年の4月1日になっております。
 年賀はがきの書き損じたものを集めておりますのでよろしかったら本会場までお持ちください。


国際奉仕委員会 (阿南 育男会員)
昨年末に、国際大会の登録者数は17名でした。これからも登録できますが料金が上がることになります。昨年12月末までに宮崎西R.Cの国際奉仕サミット賞の推薦をお願いしていましたところ、日高照雄会員より宮崎イベロアメリカ国際交流協会(通称:バモス)というベネズエラと宮崎を10年以上も交流をつないでいる団体の推薦があり、その他にも地雷ゼロ宮崎という団体も推薦されております。
 25年前に私の所で交換留学生として3ヶ月ほど預かっていたボブ・ホーキンスが毎年家族の近況を含めてクリスマスカードと新年の挨拶を送って来ます。今日は最近の10年分を持ってきましたので報告いたします。


久保 裕会員
昨年のGSEの委員長としての報告になります。宮崎中央R.Cの面高俊一郎会員の所にホームステイしていたバスティアン・フックス(弁護士)より新年の挨拶が届いております。要約してみますと、「2005年の新年のご挨拶を申し上げますと共に今年が色々とあなたの家族にとってそれから皆様にとって最高の年になりますようお祈りしています。」という挨拶で、くれぐれも皆様によろしくお伝@JSえくださいということでした。現在はアメリカでさらにクライアントにお役立てできるように法律の勉強をしております。


親睦委員会(上園 哲朗委員)
誕生祝 秋山 久会員、堺 久会員、日高照雄会員、前園善彦会員、山口賢一郎会員、上園哲朗会員、牧野 明会員、石井浩二会員 岡 美智子会員


結婚祝 松原和夫会員、菊池皓一郎会員、矢野温三会員、岡本数馬会員


ハッピーボックス(マイケル・インディゴ副SAA)
祝秋山 久会員、堺 久会員、日高照雄会員、前園善彦会員、山口賢一郎会員、 上園哲朗会員、牧野 明会員、石井浩二会員、岡 美智子会員
酉年会員の皆様 竹内三郎会員(大正10年生) 菊地 平会員(昭和8年生) 阿南育男会員(昭和8年生) 石井浩二会員(昭和20年生) マイケル・インディゴ会員(昭和44年生)
・マイケル・インディゴ会員 宮日に大きく掲載
・前畑智之会員 母校駒沢大学 第81回箱根駅伝大会史上5校目の総合優勝4連覇を達成。


新入会員挨拶 (渡辺 久之新入会員)
はじめまして時事通信の渡辺と申します。大学の先輩である吉田多穀先輩にお誘い頂きまして入会することになりました。生まれは新潟県の新発田市です。新発田市といってもこちらでは中々お分かりにならないと思います。少し山の方で雪も結構降ります。有名な人物で言いますと忠臣蔵に出てくる堀部安兵衛が、中山安兵衛であった頃に堀部家に認められ養子になって堀部となったというよう@JSな話や、大蔵喜八郎などです。そんなに大きい市ではなく人口は5、6万人だと思います。
 昭和27年(辰年)に生まれまして、小中高と野球ばかりやっていました。大学時代はバイトばかりしていました。高校を卒業して東京に出てきて中央大学に通いました。それから時事通信社に入りまして東京が一番長いです。一度は田舎へ帰りましたがほとんどが東京ということでした。宮崎に赴任してからまだ2年たっておりません。やはりこちらは気候が良くて、東京などと比べて暑いのではないかといわれますが私は自然の暑さなので快適だと思っております。食べ物も非常においしくこちらに居たいのは山々なんですが、転勤商売なものでしていつまで宮崎に居られるかわかりませんが、皆さん宜しくお願い致します。


酉年生まれの卓話(竹内 三郎会員)
明けましてお目出とう御座います。 年初め早々に酉年生まれとして卓話を依頼されました。
 今年で7回目の酉年、よくも今まで元気で来たものと満足しています。 始めに年にちなんだ話と時間がありましたらロータリーの創設期と100年たった現在について簡単に話したいと思います。
 昨年秋久方振りに鹿大一外科の同門会@JSに出席しました。
 会う人毎に
先生お元気ですね。年は幾つになりましたか。
未だゴルフをされてますか。
病院では未だ患者を診られてますか。
異口同音にこれらの質問を受けました。
 人間80歳を過ぎた頃から一年の経過があまりに早くて果たして幾歳になったかすぐに正確に答えられなくなって参ります。今年は酉年なので12×7=84歳となりはっきりすぐに返事が出来ます。次にゴルフは時折芝の上を歩き、あまりにも多く叩くのでスコアーを数えなく廻っているのでゴルフをしていると答えてよいか。最後に診療については昔からの古い患者を看護婦の指示に従って時折診ている程度で患者のほうからも「先生いつまでもお大事に」と言われて苦笑しています。
  人間60歳を過ぎると脳の前上部の細胞は60%に減少し、記憶力、思考力はとみに減退しますが判断力は以外に残るものだと言われています。
 病院の運営はかくあるべきと判断力を働かして、ゆずった若い息子の院長にいつまでもうるさいと思われています。
 ぼつぼつ完全に隠退して好きな花作りに熱中しようかと思いつつ、つい病院に出かけてゆき口を出しています。
 以上が7回目の酉男の現状であります。
 扨て本席はロータリークラブの卓話でありますので今年100周年を迎えたロータリーの歴史を簡単に申し上げます。
 創設者のポールハリスは「ロータリーは歴史と共に変化すべきだ」と言っています。
 確かに最近変化して参りました。設立時の歴史については今も昔も変わりません。
 本日はその創設期についてとそして現状について私の考えを極めて簡単に述べてみたいと思います。 その前に私が西クラブに入会し、ロータリーに興味を抱いたのは宮崎クラブから初めて地区ガバナーとなられた日高安壮氏と彼から小堀憲助著の「ロータリークラブ、その理論と実態と批判」の一冊の文献と、小堀氏主催のロータリー研究会(千種会)が別府市に於て2〜3ヶ月に1度開催されていることを教えて戴きこの会に私と日高文雄さん木浦義雄さん(若くして死亡、西クラブの社会奉仕基金の創設者)三人で、別府に通って講義を受けた事であります。尚この会は現在大阪の深川氏等に受け継がれ、彼を講師に鹿児島で開催されています。
本論に入ってロータリー創設ポールハリスについて
 彼はウィンスコン州のラシーンに生まれたが3歳の時父親が家業に失敗し一家は離散し彼はニューイングランドのウアモントの祖父母の家で幼少時代を育っています。此の地方は宗教と思想の自由を求めて集った善良な移民の街で気候の酷しさからこれに打ち勝つために勤勉で且、献身、犠牲、人への思いやりの心、豊かな人間性を有する人々が住んでいました。彼はこれらの人々と交友や、祖母の酷しい家庭教育のもとに育ちました。近所に住んでいた叔父のフオクスは医者で人の世話好きで晝、夜なく患者の求めに献身的に働き、又お金のない患者には医療費を請求しない姿をじっと眺めて育ちました。
 彼がアイオア大学に入学する時、祖母は「あなたは一人前の社会人になったらそれまでにお世話になった人々の恩を忘れず、その借りを返す人間になりなさい。」と。この言葉は一生心に残ったと申していました。
 大学卒業はすぐには弁護士の仕事につかずもっと世の中を知りたいと5Years follow(5年間の愚行)と言われていますが色々な職について社会勉強をしています。
 新聞記者、カウボーイ、俳優、船員、花崗岩の採掘業など。そしていずれの職業もそこに働く人々には夫々の職場の伝統と習慣があり、どの職場にも善意と友情があったと申しています。
 最後に勤めた花崗岩、大理石の採掘業していたクラークは彼の才能を認め、幾らでもお金を出すから自分のところに就職しないか、と言いました。然し「私はお金がほしいのではなく人生を生きる為に」と、シカゴ街で弁護士を開業(1889年)しました。
当時のシカゴは 悪徳商法が横行し一獲千金を求めた低級な移民の中継地として繁栄した街でありました。 彼は仕事は多忙でしたが、産業化、都市化した、シカゴの街で孤独感に強く悩んでいたようであります。そして心の友を求めて5年間、やっと見つけた3名の方々と1904年2月23日ユニテービル711号で第一回の会合を開きました。これをロータリークラブでは創立記念日としています。
 この会合に集った3人の友人に文明と悪徳商法横行するシカゴの街で、彼は自己の人生体験から形成された思索を熱心に語りました。そしてクラブの必要性を説き、この会の今後のあり方の検討をするように、一方では会員の増強を依頼して二週間毎に集ってこの会を開くことにして別れました。
 会は中小企業の経営者の集まりで心を合わせ悪徳商法で繁栄した企業に立ち向かうように致しました。 従って組織(ロータリークラブ)は親睦と職業上の相互扶助を原点とし会員はお互い切磋琢磨し、人間性の向上につとめるようになりました。
 彼らは集会(ロータリーの例会)を重ねる毎にその運営を検討しました。
 このシカゴクラブの例会にならってその後各地に出来たロータリークラブはその運営を慣例として参りました。
社会奉仕の発生 そのうち会員の中からクラブ運営について社会的意義がなく会員のエゴと指摘する声が上がり、その意見を寛容に謙虚に受け留めて1907年シカゴの街に公衆便所をつくった。これがロータリーの行った社会奉仕の始まりであり、その後各種の社会奉仕も行うようになりました。
職業奉仕の提稱
 1908年(ロータリー発足3年目)ロータリーきっての哲人シェルトンはロータリーの運営を哲学的にまとめ我々は自己の職業をもって社会に奉仕しているのだと。これを職業奉仕と名付け、ロータリーは企業発展の実践哲学と言われるようになりprofits most who service best(奉仕に徹する者に最大の利益あり)との標語を生み出しました。以後職業奉仕がロータリーの金看板と言われ、20世紀に生きる人々の最もすぐれた職業人の倫理規定と言われるようになりました。
国際奉仕について 1914年に第一次世界大戦が起こり会員の思いやりの心は避難民救済、傷病兵慰問の事業を手がけることになり、ここに国際奉仕の一分野が開かれることになりました。そして国際親善、戦争防止などに行うようになりました。
ロータリー財団について 1917年アーチクランプはこれ程の組織をもった会員が皆で少しづつお金を出しあって奉仕しようとロータリー財団を呈稱した。然し当初はあまりお金も集りませんでしたが1947年ポールハリスの死後その偉業を祈念して奨学金制度が設立されて画期的な資金が集り、以後各種国際交流、或いはポリオプラス、等に使われるようになりました。
四つのテスト ハーバートテイラーが破産状になったアルミ食品会社を再建する為に4ヶ条をかかげて経営にあたりました。 即ち真実、公平、好意と友情の強化、の原則をかかげた。 10年後は会社は見事に発展した。そこで1950年R,Iの会長となるやこの標語を提唱しロータリアンの実践倫理の座右の銘として用いられ1954年のロータリー50周年にこの版権が著作者ハーバートテイラーによりR,Iに提供された。
ロータリーソング 1906〜7年頃無口で頑固者で貧乏な印刷屋のハリーラグルスの呈稱によります。親睦には不適格者ではないかと疑われた彼が和気あいあいの雰囲気の出発点として歌を合唱する慣例を生みました。ロータリー史上不朽の名声を標し今でもシカゴクラブに彼の用いた指揮棒が展示してあるそうであります。 その他にまだいくつかの出来事がありましたが今回省略致します。
最近のロータリー活動 ところで最近20年位の間に職業奉仕がロータリーの金看板ではなくなったとの声を聴きます。 私がアナハイムにてガバナー研修を受けた時もリーダーから職業奉仕がロータリアンのシンデレラではなくなった、そしてグローバル化した現在会員の増強と財団への参加を強調された。 ロータリーは「七人の盲人が巨象を撫でるが如し」と言われ、これがロータリーと言ったものはありません。色々な考え方があってよいと思います。 そして職業奉仕について今一度考えてみたいと思います。 人間性の向上、相手に思いやりの心をもって職業を実践しているのがロータリアンであります。 でありながら単なる奉仕図体との印象を一般市民に与えてしまったのは公報活動の失敗からではないでしょうか。 我々ロータリアンは機会ある毎に職業倫理に基づいた職業の実践をしている団体である事を強調する必要があるのではないでしょうか。
(担当:長崎秀峰)